「ばかと無知 人間、この不都合な生き物 著橘玲」を読んで
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表
50万部突破
「言ってはいけない」から6年、”きれいごと社会”の残酷な真実。
これが私たちの本性だ。
裏
「きれいごと」にはウソがある。
キャンセルカルチャーという快感
過剰敬語「よろしかったでしょうか」の秘密
日本人の3人に1人は日本語が読めない?
美男・美女は幸福じゃない?
善意の名を借りたマウンティング
「偏見」の中には正しいものもある?
ベンツに乗ると一時停止しなくなるのはなぜ?
道徳の「貯金ができると差別的になる
「偏見を持つな」という教育が偏見を強める
トラウマ治療が生み出した冤罪の山
(目次より)
表紙裏
正義の裏に潜む快感、善意の名を借りた他人へのマウンティング、
差別、偏見、記憶、…人間というのは、ものすごく厄介な存在だが、希望がないわけではない。
一人でも多くの人が「人間の本性=バカと無知の壁」に気づき、自らの言動に多少の注意を払うようになれば、もう少し生きやすい世の中になるのではないだろうか
科学的知見から、「きれいごとの社会」の残酷すぎる真実を解き明かす最新作。
爪を立てる。
定期的に訪れる本屋さんが4軒ある。<資本とイデオロギー>は4軒にあった。
<善と悪の生物学>1件にしか置いてなかったので、改めて買いに行った。
1件の本屋さんのハードカバースペース(今まで読んでいるような分類本)が半分になって古典的な文庫本が置かれるようになった。
これは売れ筋本の変化なのか、イノベーションや社会変化に対する著作が減っているのか、そうした読者が減っているのか?
昨年末の変化が少し気になる。
全国8,000軒くらいの本屋さんのほんの少しの動きが気になる。
当然ネットでも買っているが、より直接本屋さんで買おう。
何故面倒なことをと言われるかもしれないが<橘玲>という作家を弱くフォローしている。
弱くというのは<読んでいない本があれば買う>それも本屋さんで。
その訳は、隣にどんな作家の本があるのかを気にしているからだ。
本屋さんの棚には2~3年は売れていないだろう本もあるがすぐに定数が売れてしまって目につかないのも、あるだろう。
自分の本棚にある本だってどれだけの寿命があるのか、再読される本が何冊あるのかわかりはしないし、神はけば立ってくる。
それでも私の本棚には誰の隣に誰がいるみたいな感覚がある。
数年に一度、並べ替えをする。
耐用年数の杉田本はおのずと目の届きにくいところに押しやられ、最近読んだ本が多く目に留まるところに落ち着いている。
新書にもそれなりの耐用年数があって、薄いからそれほど自己主張は強くない。
著者のスペースは<エッジの効てる人たちと一緒>
著者の言葉(引用)
記憶はある種の「流れ」であり、思い出すたびに書き換えられているのだ。
目につく本の題名がその内容を表現している。
内容を読んだその時より題名を読むことで本は成長しているのかもしれない。
例えば<信頼と裏切りの社会><TRUST><集合知の力、衆愚の罠><プラットフォームの経済学>これらの題名は、近くに関連した本を集めてくる。