「新しい封建制がやってくる著ジョエル・コトキン」を読む

サブタイトル

グローバル中流階級への警告

帯の広告

あなたは「新しい貴族階級」か

新しい「奴隷階級」か

私たちはどう生き残るのか

アメリカを代表する都市問題研究者による、シリコンバレー発「地獄の黙示録」

階級や格差の固定化、社会的地位故上昇機会の喪失がもたらす

「新しい形の貴族制を徹底分析

「新しい封建制」はこうなる!

【第一身分】

コンサルタント、弁護士、官僚、医師、大学教員

ジャーナリスト、アーティストなど

高度な知識を有し、支配体制に(正当性)を与える「有識者」(現代の聖職者)

【第2身分】

GAFAなどのテック富裕層が率いる「新しい貴族階級」

・・・・・・・・・・超えられない壁・・・・・・・・・・・

【第3身分】

それ以外の人びと、中小企業の経営者、熟練労働者、民間の専門技術者など

21世紀の「デジタル農奴」「新しい奴隷階級」

 

表紙裏

格差の拡大は確かに問題ではあるが、それを「封建制」と言うのは大げさかもしれない。

しかし本書を読めば、そのような認識が、甘かったことに気付くであろう。

中野豪志氏【日本版解説】

ちょっとした著者の日本分析(引用p161)

アメリカにおいて最近の大卒者が国内で最も高い不安を感じていることもミレニアル世代に続く世代のアメリカ人が社会主義的な考え方を最も受け入れやすいことも驚くにはあたらない。(中略)

インド、南アフリカ、内示エリアなどの有力な途上国でも、次世代に対する悲観論が広がっている

しかし最も悲劇的な国の一つが日本で、調査に回答した日本人の3が、次世代はもっと状況が悪くなると考えている。

 

訳者あとがきの本書内容紹介が適切で、訳者のまとめ部分が要点を教えてくれる。

(引用)

経済格差の拡大について指摘されて久しいが、問題は格差それ自体よりも、格差が固定化し、社会的上昇の機会が構造的に奪われていることにある。

本書の中で、著者は終始一貫してそのことを指摘している。

常識的に考えて、階級間移動が滞れば、社会の活力がそがれる一方、社会に鬱積する不平不満が爆発し、社会が無秩序(disorder)に陥ることは想像に難くない。

新しい封建制を押しとどめ、押し戻せるかどうか、著者が晋を置く西洋の自由主義的資本主義を守れるかどうかは、ひとえにこの社会的流動性の回復いかんにかかっているといえるのだろう。

 

本文からの引用(P86)

トマ・ピケティが指摘するようにテックオリガルヒは19世紀のお一部の産業資本家と同様、技術的才能を持つ人々の高まる影響力が「人為的な格差を破壊する」一方で、「自然の格差を一層くっきりと浮き彫りにする」ことを期待しているのである。

しかし新しいテック貴族もやはり、旧来の経営者エリートや腐敗した陶器会社よりも自分たちのほうが、本質的に富と権力を持つにふさわしいとみている。

自分たちには単に価値を創造しているだけではなく、よりよい世界を気づいているのだという確信があるのである。

 

もう一つ引用(P251)

格差の拡大は避けられぬ。それは技術進歩の当然の代償なのだ」という信念である

 

爪を立てる

テックオリガルヒの強い確信が何かを変えられるかと言うと、ヒエラルキーのある生ある世界を変えることではなく、あえて替えたものと言えそうなのは、貴族になるスピードと権力の強さくらいだろう。

社会が変化しているといっても、マイク・サヴィジの著作名にあるように永輝国は7つの階級があり、そこで描かれているのは領主、聖職者農奴の何が救いかと言えばイノベーション創造によるテックオリガルヒの存在が.加わった。

 

世の中が大きく変わることはない。

いわゆる上流階級(言い方によっては貴族)に多少の入れ替えが起こる。

それが、テクノロジー開発者(それも一部の)が急速に経済的成功を収めて従来の上流階級に入ってゆく。

 

訳者あとがきにこうある

各省の概要を追いながら本書の概要を追いながら、本書の内容を紹介したい。

ということで概要はきっちりまとめられているので、概要を紹介することを主な目的としているとすれば、訳者の越権行為だ。

しかし、次の問題意識を提案されている。

(引用)

経済格差の拡大については指摘されて久しいが、問題は格差それ自体よりも、格差が固定し、社会的上昇の機会が構造的に奪われることになる。

本書のなかで、著者は終始一貫してそのことを指摘している。

常識的に考えて、階級間移動が滞れば、社会の活力が削がれる一方、社会に鬱積する不平不満が爆発し、社会が無秩序に陥ることは想像に難しくない。

新しい封建制を押しとどめ、押し戻せるかどうか、著者が晋を置く西洋の自由主義的資本主義を守れるかどうかは、ひとえにこの社会的流動性の回復いかんにかかっているといえるであろう。

 

ここに問題がある。

封建時代の貴族であれ、近代の地主であれ、歴史ある巨大企業のオーナーであれ、歴史あるヒエラルキーが表面的な姿を変えても残り続けていく社会が厳然と存在する。

テックオルガルヒが出現したという現実を貴族階級の新陳代謝と肯定的に捉えれば、それは新しい封建制であっても少しの新陳代謝が行われたということだろう。

安定した社会というのは既得権の拡大と腐敗を生みだしてしまう、よどんだ社会ととらえるか、安心・安定と肯定的に捉えるかの違いだけで、コインの裏表と言うか、選択する優先順位の問題レベルの違いだろう。

そして訳者が最後に言う、(引用)

常識的に考えて、階級間移動が滞れば、社会の活力が削がれる一方、社会に鬱積する不平不満が爆発し、社会が無秩序に陥ることは想像に難しくない。

新しい封建制を押しとどめ、押し戻せるかどうか、著者が晋を置く西洋の自由主義的資本主義を守れるかどうかは、ひとえにこの社会的流動性の回復いかんにかかっているといえるであろう。

この部分に関しての個人的コメントは、社会には秩序ある安定や安全を基盤に、必須条件としての不純物を持ち込んでおくこと。

ここで言う不純物とは、新しい価値を生み出す可能性のあるイノベーションを起こす人を育てる、システム、と新しいことに挑戦する個人を育てる幅広い中間層の育成となるのだろう。

最近、この本<新しい封建制がやってくる>や<資本とイデオロギー>や<7つの階級>という本に巡り合うと、マグニフィントセブン、と呼ばれるテック企業がもたらす将来を多くの人が想像できるようになって、目標に向かっての具体的スケジュールを考えられるようになったのではないかと疑う。

それはそうした技術を社会的に取り入れ、リスクを管理し、負の影響を最小限にとどめることを考えるようになる。

概視感のある歴史を活用して世に広まってゆく。

ヒエラルキーのある社会がそう簡単に変わらないことを示してはいるが、その階級格差があることはそう簡単に変わらない。

せめて階層間の移動位はあると信じるのか、改装は変わらないとみるのかは、疎個人の感じ方だ。

そこにひつつ付け加えたい。

リバタリアンの存在を増やす。

新しい、リバタリアンを目指す人が増える。

人の一生は、短いようでも長いと考えれば、どこかで価値観の変更や、スタンスを変えるという選択肢が増えることも可能と考える。

 

 

<大洋を群れずに回遊する>

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

 

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