「異形のものたち 絵画の中の『怪』 を読む著中野京子」を読む

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見たくなる。

描きたくなる。

どうして・・・

 

オールカラー

中野京子のヴィジュアル版第5弾

われわれは古来、何に魅入られ、何を恐れてきたか?

”異形”の名画の裏に潜む、語られざる歴史と人間の情念。

第1章 人獣・・・私たちは何を恐れてきたのか

第2章 蛇・・・邪悪はいつでも傍にいる

第3章 悪魔と天使・・・善悪と美徳のかたち

第4章 キメラ・・・存在しえぬものを求めて

第5章 ただならぬ気配・・・不可視の恐怖

第6章 妖精・魔女・・・忘れられたものたち

第7章 魑魅魍魎・・・画家たちのよろこび

内側

異種の合体

見たことのない天使や悪魔の造型、

曰く言い難い気配や雰囲気の絵画的創出、

蛇への嫌悪と魅了、サイズ感の変更による驚き・・・

そこには「描きたい」という意思をも凌ぐ

「見たい」という需要があることも確かだ。

われわれ人間が強烈な好奇心に支えられた生き物であるかぎり

その欲求は終わることがない・・本文より

表紙裏

人獣、モンスター、蛇、悪魔と天使、妖精、魔女、異様な建造物から魑魅魍魎まで・・・。

一見して怪異で不穏、そして豊かなメッセージをたたえた「異形のものたち」。

それら絵画はなぜ描かれ、どうして鑑賞者に長きにわたり支持されてきたのか。

描かれた“怪”から語られざる歴史と人間の本性を明るみに出す、大人気「怖い絵」シリーズ著者の新境地

 

爪を立てる

ヒトが生物である以上、地理的拘束性と歴史的拘束性に拘束されている。

生物が生きるうえで、<生存率が高くなる>よう伝説を地域、地域で持っていた。

例えばこの本の中にもあるように(引用)人間の先祖は捕食者から逃げるのに木の上へ上へと登っていったが、大型動物が地下つけない細い枝の先まで膣様に追ってきたのが蛇、つまり最も危険な敵が蛇だった。その遠い恐怖の記憶が、今に至るも残っているのだと。

五感も身を守るために発達してきたかもしれないし、生物として生き残る手段を獲得し、その共有化が進む。

その後、群れとして生き起こりをかけていろんな知識を獲得し共有化してきたと想像しても、無理はない。

そんな共有化の先に創造物としての異形があっても、歴史が生み続け共有化してゆくのではないだろうか。

本が取り上げた題材は特異なものではなく、その地域が持つ「怪」を作り上げる中でヒトの好奇心を満たしたり、場合によって個を深めたりする手段にもなるのだろう。

この先もこうした作品は生まれ続け、著者のように、より広い地域で共有する手段を提供してくれる人もいる。

 

本の限界と可能性について。

取り上げた<異形のものたち>に取り上げられた絵画について、文章だけでは想像に限界がある話を具体的に見せることで読者を引き付ける。

しかし紙面には限界があってもっと詳しく見たいと思う。

幸い、出版社がNHK出版新書とあるのでどこかでNHKと繋がっているのだろうから先々こうした本が出版されたり、この本が生き残ってゆくその先に大きな画面で盛られるような時代になるだろう。本と映像のコラボはもう始まっている。

 

「怪」つながりで本の、もう一つの可能性

夢枕獏の陰陽師水龍の巻きを読んであらためて感じる。

紙面に対する空白の部分のバランスがよくて、空白も文字にならない何かがありそうで詩集と同じ力を持っているようだ。

 

本の内容がどこまでオリジナルなのか「異形のものたち」「陰陽師水龍の巻き」ともに歴史的拘束を受けながら未来へと繋がってゆく。

ヒトとヒトとの関係もそうした拘束を受けながら新しい形を作ってゆく前向きのものでなければ、ヒトは受け入れないのではないかと、考えさせる2冊。

 

<大洋を群れずに回遊する>

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

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