「思考の整理学 著外山滋比古」を読む

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刊行から34年、124刷253万部突破

“東大・京大で一番読まれた本”として有名な代表作

専制と教科書に引っ張ってもらうグライダー型ではなく、エンジンを積んで自分の頭で考え、自力で飛ぶまわれる飛行機型の人間こそ、これからの時代には必要なんじゃないかな・・・外山滋比古

「知の巨人」の知恵を後世に・・・

 

お茶の水女子大学名誉教授

追悼 外山滋比古さん

 

「思考の整理学」のこれまで

『思考の整理学』は自分の頭で考え、自力で飛翔するためのヒント学術エッセイです。

1983年「ちくまセミナー」というシリーズの一冊として刊行された本で、その後1986年に文庫化しました。

もともと2007年までの21年間で16万部のロングセラーとなっていましたが、2007年に岩手県盛岡市のさわや書店で店員だった松本大介さんが、記した「もっと若い時に読んでいれば・・・・」という書店店頭のPOPをきっかけに再び注目を集め、2008年東大(本郷書籍部)⇒京大生協の書籍販売ランキングで1位を獲得したことから、“東大・兄弟で一番読まれた本“のフレーズが生まれました。

2009年には累計発行部数が100万部を突破。

2016年には30年目にして200万部を突破し、まさに時代を超えて読み継がれる異例のロングベストセラ―となっています。

大学生協文庫年間ランキングでは2018年、2019年連続1位を獲得しています。(大学生協事業連合調べ)

 

不滅のベスト&ロングセラー

 

帯の内側

東大生の感想より

今の時代に必要なのは、情報を手に入れることよりも「捨てること」なのだ

メモを取り整理する癖がつきなした!

他分野との接触、混在が新しい思考法を生み出すという考えが新鮮に思えた。

知識に偏った勉強をしてきたからこそ、それだけじゃいけないんだと思いを新たにした。

 

爪を立てる

5月6月と2つの理由で新刊書を読んでいない。

第一の理由は、連休に思い経って、本棚の整理を決心したこと

第2の理由は、今年はバラ(ヘンリーフォンダ)の葉を病気で落とさない事に挑戦し苦戦したからだ。

バラは数本地植えで持っていて、あまり見かけないスパニッシュサンセットという名の、どうも品質的に完成されていないような感じのする樹。

何故かというと最初は八重で先始めるがそのうち一重になってしまい,色もオレンジが薄くなってくる。

肥料が足りないのかとも思うが、それ以上に多く花がついてしまい摘花する判断ができない自分をあざわらっているようにも思われる。

その木の隣にヘンリーフォンダがあって、今年はスパニッシュサンセットの芽吹きが早く、つまり病気になるのも早く、結果的にヘンリーフォンダにも移りそうだった。

そこで、ユーチューブの世話になっていろんな方法を試している。

残念ながら良い結果は得られず、ほとんどの葉が落ちてしまった。

それでもアドバイス通りにして、新芽が出ているので、そこ史努力の結果が出たかと見守っている。

仮名は当然昨年のように咲き、バラになかでは清楚な独特な香りを楽しませてくれた。

植物は1年周期で活動するので、この時期しかなかった。

 

さて本を処分した。

最初はつまみ読みしながらだらだらと残すか処分か検討していたが進まないので、小さな理由、本の劣化でホコリが出てくしゃみが止まらないときがある。

そこで10年以上持っている本に対して残す理由がない限り処分と一線を引いた。

残す理由、

背表紙が訴える何かに今も感じるものがある本。

時代を超えていると感じる本。

残さない

紙が、毛羽だってホコリを生産しそう

黄ばんで汚い。

時代に流されていま必要とされない、ないしは、誰かが引用していて、定着している本。

著者に敬意を払うために<本は買うと決めている>以上売りには出さず処分した。

 

一つの結果を出すのに2か月もかかってしまった。

今ユリ(カサブランカ)が咲いている。

スペースができたので次の本の居場所は確保できた。

 

そんなときに出会った本が<思考の整理学>

初版が1986年とあるのでせっかく整理した世界(だいぶ残っているが)に引き戻される本。

とげのある本ではないので爪を立てるところはない。

例えば(引用)

商売するヒト、登記をする人は、物の売り買いのタイミングを見極めるのに身の細る思いをする。

もうよかろうと思って、売買すると早すぎる。

それに懲りて、今度は満を持していると、好機を逃してしまう。

もっと早く決断すればよかったと後悔する。

→これは投資をしたことのない人の発言。

何を残すか、どうなってほしいかという未来に向かってリスクを受け持つという参加だろう。

というように言い古されたというか、聞いたことのある話が多い。

 

前向きに捉えた事の例。

(引用)

Aのものを読んで、理解したとする。

その結果は決してAではなく、A´、つまり異本になっている。

文学が面白いのはこの異本を許容しているからである。

六法全書を読んでも、小説のように面白くないのは、法律では異本をほんの少ししか許さないためだ。

(法律でも解釈をめぐって議論があるのは、異本が全く無いわけではないことを物語っている)

⇒だから文学は科学ではなく芸術なのではないかと勝手に考える。

 

社会科学の曖昧さは異本をどれだけ認めるかというかいくつかの論文を組み合わせると異本を組み合わせているので新しく認めさせられる何かができてしまうのではないかと疑ってしまう。

現在も通じ、説得力のある説明。

 

人が何かを理解するためには物語化するのが有効だ。

万人が死ぬ平等を持っていて著者の思考回路を後追いすることで新陳代謝が計られ、かつ遺伝情報のようなものが受け継がれてゆく。

まったく新しいものが生まれるのがイノベーションではなく、今までの技術の新しい組み合わせがイノベーションの大半だとすれば、引き継ぐことと、創造する事と、その時(その場)がそろったときに次が生まれるような気がする。

 

歴史は今が創る、それでも過去があっての現在だと教えてくれる、10年を超えて現役の数少ない本。

 

思考していることを自認している人にお勧めの本。

その訳

(引用)

個人の考えをまとめ、整理するにあたっても人類が歴史の上で行ってきた、ことわざの創出が参考になる。

個々の経験、考えたことをそのままの形で記録、保存しようとすれば煩雑に耐えられない。

片端から消えてしまい、後に残らない。

一般化して、なるべく、普遍性の高い形にまとめておくと、同類のものが、後々その形と照応し、その形式を強化してくれる。

つまり、自分だけの”ことわざ”のようなものをこしらえて、それによって自己の経験と知見、思考を統率させるのである。

そうして生まれる”ことわざ”が相互異関連性を持つとき、その人の思考は体系を作る方向に進む。

そのためには、関心、興味の核をはっきりさせる。

その核に凝集するよう具体的事象、経験を一般的命題へと昇華し、自分だけのことわざの世界を作り上げる。

そのようにすれば、本を読まない人間でも、思考御体系を作り上げることは十分に可能である。

 

相当数の本を処分して、最初に出会った本がコレ。

本から離れることはない。

 

別件

2月800ドル台をつけたテスラ株,あの時に売らなくて正解か?

売った方がよかったのか?

二者択一ではない。

持ち株のどの程度の量を売るべきだったのか?

購入価格はどれ位なのか?

リスク分散ができているのだから、持ち続けるリスクは取るべきか?

テスラを押す理由

自動運転でリスクを抑え、自由度は確保し、ソーラーエネルギー活用+蓄電の技術を深化させると住む場所の自由度が増す。

 

創造的思考をたえず鍛えていることを進めてくれる本

 

<大洋を群れずに回遊する>

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

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