「経済成長なき幸福国家論 著平田オリザ・藻谷浩介」を読む
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表
下山の時代を“おもしろく”
下り坂日本の生き方
裏
藻谷さんニッポンは「滅びの段階」なんでしょうか?
〔藻谷〕いいえ、滅亡どころか今は「高原状態」です!
[平田]いいえ、何かが足りないけれど、住みやすい豊かな国です!
第1章 上り坂から下り坂へ、次代の節目を生きる
第2章 地方の活力に学べ
第3章 下り坂か高原か
第4章 面白い生き方ができる、おもしろい国
この本のマトメに関してこうある。
(下線は引用)
藻谷
今回の対談で「下り坂の時代」については言いたいことは大体言い尽くしました。
最後に逝った、「他者を蹴落とさないと生き残れないという発想は前世紀の遺物」「東京になりたがるな」ということが本当に一番言いたいことです。
日本は山を登ってきて、ちょっと下がって楽しい光源で一休みしている状態です。
ここでゆっくりして、子どもの現象を止めれば次の登山もまた楽しくできるでしょう。
平田
教育と分化は未来への投資なので二十年三十年のスパンで見ていかないといけないと思います。
日本は知の理にすごく恵まれていて、明日すぐに移民や難民が入ってくるような国でもない。
これから二十年三十年くらいの機関が、最後の天の恵み尾様に与えられているのだと思っています。
この間に多様性を許容するような社会に作り替えてゆけばまだまだ生き延びられる。
突っ込みどころ満載の本というのは間違いない。
個人の価値観はその人の優先順位があり何より大切と考えているので、二人の意見に合わないところについてのみ爪を立てる。
よほど今の社会システムに不満のある2人らしい。
現状否定、自己肯定の強い本。
平田氏(下線引用)
心や幸せは内面のこと、個人の事だから、政策や経済が関わる部分はすごく少ないと思うんです。
これが戦争直後とか本当に食えない時代だったら経済の豊かさが幸せに直結するけれど、今は食える時代だから
⇒そうだろうか、いつの時代も経済的な安定と生活が豊かになってゆくという社会システムの支えがあってこそではないだろうか?
あとがきで
藻谷氏はこういう
情報を文字として遺すのであれば、100年後に読んでも間違っていない内容、地球人と何一つ利害が一致して居ない宇宙人が読んでも「客観的で筋が通っている」と言ってもらえる内容にすべく、せいぜい努力するべきだと思っております。
本だけでなく、ブログでも、SNSもやりませんし、コメントも書きません。
本業は講演でして、相手が一人でも二人でも全力投球でやりますが、書いたものを残したいという欲求を、強く抱いたことがないのです。
だったら一線を越えたね。
特定の相手に対する説得ならば、相手を説得できれば終わりだが、不特定多数に発表した以上不特定多数に対する説得が必要になる。
論じる以上、客観的なデータを基に話すか、否定している根拠を示すべきです。
例えば、自衛隊があるから税収が安定している?誰が税金を稼ぎ出しているのかという質問にも答えるべきだ。
企業が、自治体が組織として試練に立たされていることに間違いはない。
組織はこれからも必要な存在として変化を遂げているのではないか?
その何とかしようとする人たちを馬鹿にして逃げ出すことを推薦するようなエセ二項対立で煽る姿勢は感心しない。
社会が必要としない組織など続くことはないのに社会に必要だからまだ存在し、頑張る人がいる。
組織に合わない人はいつの世にも居る。
でもその組織の中で、より良くしようとする人もいる。
その両方の存在をくみ取って情報や知として練り上げていく責任が作者には求められているのではないか?
多様性を認めるとはそういうことではないか?
みんなで貧しくなろうという
ファシリテーターとしての立場での本と捉えれば、ユーチューブで、流すほうがベストではないか?
このほんが藻谷氏の言う提供していない情報を求めている人に対する配慮がないとは考えられないか?
この事による本離れが進むとすれば出版社の責任は大きい。
真剣に書籍を通じて藻谷氏の言う<情報を文字として遺すのであれば、100年後に読んでも間違っていない内容、地球人と何一つ利害が一致して居ない宇宙人が読んでも「客観的で筋が通っている」と言ってもらえる内容にすべく、せいぜい努力するべきだと思っております。>に挑戦している人に失礼だし、それを期待している読者に対しもっと失礼だ。
こんな疑問にも並行して答えるのが国家論と題する本を書く人の責任ではないか?
発言するのは誰も共通に自由だ。
責任が生じる関係とは対価を支払う、受け取るということだろう。
従来の放送局に挑戦しているユーチューブでも私が必要としている情報を流してくれる。
稼ぐ力を甘く見ると大きな失敗が待っている。
人口減少をほかの地域から人を呼ぶというゼロサムゲームは合成の誤謬を招き共倒れとなる。
解決策は著者の嫌いなイノベーションによる、新しい富の創出ではないのか?
この本は論ではなく著者の意見と取れば、私の個人的な意見ですが
30年の停滞はチャレンジすることを異常に恐れて、平等という言葉に隠された一歩前に出ようとする人の足を引っ張った規制と先人の遺した遺産を食いつぶすだけの今でいいというおかしな現状肯定感情ではないのか?
放送局にはユーチューブという挑戦者がいる。
本に関して挑戦者も出てこない。
不毛な市場とならないよう、出版社自身の眼力が問われているのでは?
売れそうな本を出版するのか、後世に残る本を出版するのか
出版社こそが生き残りをかけて存在理由をアピールすべきだ!
こんな極論を言ってみたくなったのは
最近ユーチューブに大変お世話になった私の感想です。
次の世に残しておくための投資対象を検討するには疑問符が置かれる。
信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています
