「反日種族主義との闘争 編著李栄薫」を読む

帯の広告

私たちは批判にこたえる

そして反論する

前著「反日種族主義」には韓国国内から強烈な抵抗と罵倒が寄せられた。

降り注いだ批判に誠意をもって答え、あらためて韓国根づいた「嘘」を実証する。

40万部のベストセラー第2弾

Veritas Vincit! 事実は勝つ!

慰安婦強制連行説に再批判…強制動員の拡大解釈の問題点

日本に行ったら皆強制動員なのか?

韓国大法院の判事たちは恥を知らなければならない

国際社会を説得できない独島(竹島)固有領土説

日本の植民地“支配”ではなく

移植された“制度”が近代化をもたらした

 

エピローグにある<57名の方々にインタビューすることができた。>

この一文が<一次資料>で時がたつにつれて確認できなくなってしまう貴重なものだと考えます。

そうした研究者が、文献資料と合わせて書き上げたこの本は今後引用されてゆくことになるだろう。

 

著者がエピローグで李承晩言葉を引用している。(引用)

息が絶えようとしているこの民族を蘇生させるには、この国に蔓延している愚かでよこしまな風俗と、邪悪で腐敗した心を正さなくてはならない。と力説しました。

班常性の束縛を打破すること、心にみなぎっている奴隷根性を剔抉することなどを列挙した後、彼は右に挙げたこの国の嘘の文化を猛烈に攻撃しました。

 

ほかの国の歴史学者がこう指摘したらそれなりに聞くのかもしれないしまったく無視するのかもしれない。

それでもほかの国のヒトの(歴史的拘束、地理的拘束が違う)意見を聞く姿勢がみられるのだろう。

 

国内だけを見るのではなく世界との関係性からひも解いているのは、危機意識からだと思える。

危機意識とは、社会の孤立であり、低迷化であり、無力感の蔓延だろう。

著者グループの持つ危機感は韓国という国のなかでの多様性だ。

そしてそんな人の存在が理解を深める。

 

爪を立てる

著者の感想(P350より引用)

自分自身と歴史を相手に嘘をついてまでして金銭を追究する民衆の心根は、いったいどうして生まれてきたのだろうかと、そうして「国ができて60年経つのに、いまだに国民は未成熟なのだ」と嘆息しました。

「ヒト」への不信感に対する少しの補強

ヒトの持つ特性として

「120歳まで生きたいので、先端医療を取材してみた 著堀江貴文」の中でこう言っている。

「記憶とは曖昧なモノですし、書き換えも可能です。このように言うと悪く聞こえますが、記憶の曖昧なことや書き換ええられることは、アイデンティティを作るうえでとても大事なことです」

人間には記憶を書き換えられる能力があるから、負の側面として記憶があいまいになってしまうそうだ。ということは僕たちの自我は曖昧なモノから生まれることになる

「ええ、自我なんていい加減なものですよ」と先生は笑って言う。

<ヒト>とは柔軟で環境に適応する生き物だと教わる。

 

私的考えでヒトの思考は地理的拘束+歴史的拘束というのを判断の下敷きに使おうとしているモデル例になりそうだ。

この本が注目されているのは、日本と韓国の地理的拘束・歴史的拘束が今の日韓関係をホットにしているという状況がある。

 

この本の著者に

(ホモデウス下p91から引用)

歴史は過去に捕らわれた一般大衆ではなく、先見の明のある少人数の革新者によって形づくられることが多いからだ

 

<知の生産者>をプランクトンに、本をマリンスノーに例えれば、生き生きとした研究者というプランクトンが生産した死骸(本)がやがて海底に沈んでゆく。

プランクトン<知>を餌にして行動変容を起こす魚がいるかもしれない。

多くのプランクトンはマリンスノーとなって海底に蓄積されてゆく。

いつか石油になるかもしれないし、やわらかな岩になるのかもしれない。

海底という社会に蓄積されてゆく堆積物の多さが、その時間的<遠くの先にある豊かさ>を育てているのかもしれない。

歴史的拘束。地理的拘束から自由になりつつある著者の考えがほかの国の人に伝わり、いつか里帰りして、すでにこの本を読んだ韓国のヒトに新しい読み方(価値観)を確認させることがあるかもしれない。

そのためには、相当多くの時間と、それぞれの多くの経験がないと向き合えないと考えられるが、無理することなくその関係性の間隔を取る人と、熱くも冷たくも寄り添っている人がいることもあり得る。

お互いが必要とする間隔とは、お互いの意思にもよるがお互い過去を忘れることはないので、歴史学者が必要なのだと考える。

ゆえに歴史学者は地域的束縛・歴史的束縛をその時の世界という広さと、地域の持つ個々の歴史を俯瞰的に評価できる、見取り図を持っていなければならない。

そしてそのスタンスを絶えず証明しながら、<新しい知>に向かわなければならないのではないか。

研究者が閉じこもることなく、たえず競ってもらうことが社会の方向性を大きく誤らせないことにつながる。

つまり結果的に社会が多くの費用を払わずに済む。

 

学者とアクターという2つのポジションで戦っているのは本当に現状に危機感を抱いている。

希望通りになるか?

少なくとも努力していることを読者は見ていると思う。

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

にほんブログ村 本ブログへ

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

にほんブログ村