「日本近現代史講義 成功と失敗の歴史に学ぶ 著山内昌之・細谷雄一」を読む

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基本が身につく14講

明治維新

日清・日露戦争

第二次世界大戦

東京裁判と歴史認識問題……

基本が身につく新しい日本近現代史入門

日本近現代史講義 山内昌之・細谷雄一/編著

明治維新から150年余り、日本近現代史の研究は日々蓄積され、塗り替えられている。

日本国内の閉じた歴史にとどまるのではなく、世界史と融合した新しい歴史を模索する流れが強まっている。

明治維新に始まり、日清・日露戦争、第二次大戦、東京裁判と歴史認識問題、戦後日中関係、そして未来に向けた歴史観の問題まで。

特定のイデオロギーに偏らず実証を旨とする。

第一線の研究者による入門十四講。

 

終わりにこうある(引用)

過去の事例から我々が何かを学ぶ場合に、相反・矛盾する事例や教訓が数多くあるという事実に留意することが重要だ。

自らに都合がよいように過去の事例を恣意的に援用するのではなく、さまざまな事例を総合的に判断する視野の広さやバランス感覚が何よりも求められる。

それは簡単なようでいて、実は極めて難しいことである。

歴史を扱う時には、慎重さや賢明さも求められるのだ。

 

本書は2015年12月から2018年7月まで自由民主党本部で行われた「歴史を学び未来を考える本部」での講義をもとに、その内容を新書の形式にまとめたものである。

2015年11月29日、自由民主党栗東60周年記念式典開催日に、「歴史を学び未来を考える本部、いわゆる歴史本部が設置された。

 

 

爪を立てる。

講義の初めにまず歴史観ではないだろうか?

歴史的事実の証明は近隣諸国・関係諸国そして世界との関係の中で共通基盤を作ることと、独自の国の歴史を引き継いでゆくという2つの大きな要求にこたえるためにも、引用できるつまり信頼できるに足る資料作成だろう。

具体的には日本史は日本人に必要であることはもちろんだが日本人以外のとのディスカッションを想定する想像性が必要だと認めているのがこの本の言う<世界史と融合した新しい歴史>と

そうした想像性だけが未来を共有できるかもしれないというベクトルの一本化を創造できるのではないか?

意見の食い違いを認め合い併記を前提とした書籍の発売ができればどうか?

読者を説得できる部分は共通基盤として沈着すればいい。

仲間内の歴史や歴史観というのは、競ってこそ社会に役立つ。

著者の言うような

過去の事例から我々が何かを学ぶ場合に、相反・矛盾する事例や教訓が数多くあるという事実に留意することが重要だ。

自らに都合がよいように過去の事例を恣意的に援用するのではなく、さまざまな事例を総合的に判断する視野の広さやバランス感覚が何よりも求められる。

それは簡単なようでいて、実は極めて難しいことである。

歴史を扱う時には、慎重さや賢明さも求められるのだ。

を実戦することが歴史研究者には求められていたし、これからも求められるのではないか?

元朝日新聞記者の敗訴確定 最高裁、慰安婦記事巡り

などという問題はタイムリーな学者のアドバイスさえあれば生まれなかったのではないか?と考える。

 

アクター(生活者、行動するヒト)つまり大人の年齢に達している人が求める歴史は娯楽であったりアイデンティティであったりするが、歴史の基本は成長期に教わるものではないか?

そうしない問題はほかにありそう

歴史に関わる問題が起きたときに問題に関するポイントの紹介であったり、エビデンスであったりするのだろう。

アクター(行動するヒト、生活者)は歴史に学ぶというより歴史を下敷きにして未来を考え今日を生きると思えば、歴史学者に求めるものは、客観性とエビデンスで強化された説得力と考えれば、なぜ勉強会が自民党だけなのか…国会議員全員ではないのか?という疑問が浮かぶがどうだろう?

考え方や優先順位が多少違っても同じ日本人なのに、そんな人たちを説得できないで日本人以外を説得できるとは思えない。

説得もできないのに納得は得られない。

違う立場をきちんと併記して<考えるネタ提供>がスタートかと考えるがどうだろう?

生臭い近現代史に手を染めるというのはそういうことではないか。

これからの健闘をお願いして終わる。

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

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