「反日種族主義と日本人 著久保田るり子」を読む

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反日種族主義 日韓機器の根源 40万部突破

反日をあおったのは日本人だった!

意アこそ知りたい日韓機器の源流と深層

李栄薫氏公認副読本

北朝鮮や朝鮮総連が種をまき、日本長派が反日を成長させた。

「日本が土地をうばった」朝鮮系東大生のウソ論文

「強制連行」という言葉は日本で作られた

徴用工と和解した日本企業の失敗

韓国併合100周年「菅首相談話」の影響

「慰安婦狩り」の嘘を垂れ流した朝日新聞

「慰安婦=性奴隷」を流布した日本人弁護士

韓国の要求で改変された河野談話

文在寅政権の正体は「親北・反日・反米」

表紙裏

「反日種族主義」の日本語版刊行に尽力した産経新聞編集委員による日本人のための副読本。

韓国における反日の系譜を辿り、反日をあおった日本の左翼勢力の役割を解き明かす。

さらに、北朝鮮にすり寄る分在虎政権の本質的なあやうさに警鐘を鳴らす。

 

著者の言いたいコト引用

「中立性が疑われている吉田清治やヒックスの著者のような刊行物から、彼女の主張に合う部分だけを取り出し、それに依拠して書いた、しかも、これら情報の裏付けを取ろうとした形跡がない。

日本政府が堂々と正論を述べず、戦わずして土俵を降りてしまったことに間違いはない。

これで「慰安婦=性奴隷説」は生き残り、国際社会に拡散していったのである。

 

爪を立てる

民族史観とは歴史的・地理的拘束そのものなので、乗り越えるには「知の共有」を前提に「前へ!」という共通目標しかないように考える。

それでも反日種族主義の編者李栄薫氏の言う、<歴史は大きい費用を払ってこそほんの少しの進歩を許すのかもしれません。歴史の進歩は遅い速度でしか進まないようです>

(2019/11/21.東京内幸町記者クラブ会見の中で)

では一歩進むことができるきっかけはと考えると、変化を生み出さない人間関係から生まれるのではなくイノベーションではないかと考える。

技術が社会を変えるとき、不安定でどこかに時代に取り残される部分と先に進もうとする部分のギャップが生まれ摩擦が起こる。

その摩擦を埋めるためにヒトは新しい価値観や対応方法を模索する。

波が立つことで世の中を変える。

そんなきっかけを取り込む勇気こそが反日所属主義で求めようとしたことだったのではないか

 

「一研究者(イノベーター)」ではなく「専門家(プロフェッショナル)」が{広めるヒト(セールスマン)}に向かってストーリー仕立てで書いた本としては大成功だろう。

その本の副読本というから久保田るり子氏はセールスマンとしての仕事で一般読者に広める立場としてこの本を書いたと考える。

この本が示す問題は一次資料を個人のエネルギーさえあれば作り上げることができることを公にしてしまった。

「作られる記憶」によって、国同士がおかしくなり、その先に雲が立ち込める状態さえ創り上げられることだ。

そして、これまで疑ったこともあまりない大手マスコミや学校教育までが薄汚れているような空気を社会に流したことを認めてしまったことだろう。

では社会に生きる一般のヒト<行為者・活動家・生活者>は何を知識として信じてゆけばいいのかという疑問を作ってしまった。

 

ある研究者の考え(人文化学と自然科学における学問構造の才による教育方法の才に関する研究。家澤恒夫・山藤誠司より)を引用

自然科学を学ぶ大学生人のすべてが研究者になるわけではない。

彼らが将来、一般市民社会生きてゆくのであるから、市民社会を生きてゆく上では、種々の科学技術の問題に対して自らが意見を持ち、積極的に権を表明できる能力が必要なのである。その為に必要とされる教区とは従来型の学問ディシプリに則った自然教育よりも社会に発信できる人間の育成である。人間の側の倫理と論理に基づいて、市民の方が科学技術を制御するのだという気概と、そのための具体的戦略を身に着けることが求められているのである。

 

人文科学においての研究は自然科学が求める階層構造がなく、任意のトピックにアプローチすることが可能で、必ずしも学問的方法でなくてもアプローチが可能である。

 

 

つまり、人文科学の強みであり弱点でもある特徴は各自のトピックに対する挑戦で、いわば浜辺に作る砂山のようなもので、個人で完結する。

次につながる人がいたとしても、それは前人の成果を分解し自分の認めるところを抽出してその部分を引用するに過ぎない。

自然科学は大きなレンガの建物を作る目的でその一つのレンガになることを目的としている。

その間を取り持つのは自然科学を理解していて、人文化学を駆使して説得にあたる人だろう。

だとすれば一層自然科学的アプローチなしで<生活者・アクター・活動者>に接し、説得するのは難しくなる。

こんなハードルをとりあえず要求できるのはマスコミであったり出版会社であったりするのだろうが、そこに信頼の構図が崩れているとしたら、<発言している人>の内容を吟味して、深く聞くか、聞き流すかを言う選択をしなければならなくなる。

送り手と受け手の距離が狭まっていて、その間にあるべきコストも安価になっているとしたら、何を選ぶかというスキルを個人個人が身につけるしかなくなる。

「反日種族主義と日本人」という本はそんな問題を突き付けてくる本の一冊。

 

反日種族主義のときにも書いたが、一人のヒトが、その個人のエネルギーに任せて第一資料と言えるような文を書いてしまう。

それを検証しないという手抜きだけで(自然科学で言う検証、再現できないという問題)大きな問題が社会に通用してしまうという確認をした。

この問題を繰り返しテーマにすることで研究というなら、大きな無駄というしかない。

 

ある種の絶対的信頼感を相対化してしまったという現実と、

改めて韓国の研究者が韓国の未来を考えるときに、あえて客観的な歴史観を公開するというスタンスは称賛されるべきだろう。

そして日本にもそんな砂山を築き説得できる研究者そして専門家+セールスマンという連携したあたらしい情報の流れが出来ればと期待する。

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

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