「2025年のデジタル資本主義 著田中道昭」を読む
副題:「データの時代」から「プライバシーの時代」へ
帯ナシ
表紙裏
GAFA、BATHなどの「デジタル・プラットフォーマー」に情報と富のすべてが集中するデータ経済への反動から、個人情報保護の動きが欧米を中心に高まっている。
次に覇権を握るのは、いったい誰か?
“周回遅れ”の日本は、どこに活路を見出せばよいのか?
産業界の未来予測に定評のある著者が、進展するデジタル資本主義の行方を占う。
帯がないので、章の紹介
第1章 米中目がテック企業「ビッグデータ×AI」&「デジタル」戦略
第2章 「データの時代」から「プライバシーの時代」へ
第3章 あープルとグーグルのプライバシー対応
第4章 プライバシー・テックの世紀
第5章 「GAFAの次に来るもの」と「ポストデジタル資本主義」
第6章 ポストコロナにおける「ポストデジタル資本主義」
終わりに…「自然との共生」の歴史の中に日本の活路がある
爪を立てる
著者曰く(引用)
日本復活のカギの一つは、米国のGAFA、中国のBATHに比肩するテクノロジー企業の登場です。キープレイヤーはずばり、ソフトバンクとトヨタ自動車です。
そうだろうか?
トヨタがテスラに時価総額で負けた理由を私なりに(当然ほかの人の意見を参考に)考えてみた。
GAFAの驚異的成長がデジタルプラットフォームの作成による超長期思考とスピードの掛け合わせで、拡張性のある断端なビジョンを持ち、イノベーションを何度も起こしながら爆発的に成長している。
これはリニア(線形関数)的成長ではなくエクスポネンシャル(指数関数)的成長という人がいるがその通りだろう。GAFA以上にテスラの成長は急激だと考えられる。そしてテスラの場合、自動運転というソフトの分野と電池を含んだ車という実物分野も押さえつつある。
そこで注目
パナソニックはテスラ用電池工場を増設するのか?
新しいデジタルプラットフォーム企業と従来型の企業の組み合わせはうまくいくのか?
興味として、パナソニックはグロバルスタンダードという枠組みの中で部品メーカーとして生きるのか、それともこれ以上深入りしないという形で、世界から見ればローカルな中小企業としての道を歩むのか?
両方の極小株主(直接の利害関係者)として興味がある。
著者は(引用)日本が米中に次ぐ第3極になるために必要なこととして、日本復活のカギの一つは米国のGAFA、中国のBATHに比肩するテクノロジー企業の登場です。
そのキープレイヤーはずばり、ソフトバンクとトヨタ自動車です
と言っている。
トヨタもソフトバンクもそれぞれ形のできてしまった超大型企業なのだから、これからも爆発的な成長を望む組織というより安定化を望む組織なのではないだろうか?
最初から大きな組織があってその下に可能性のある小さな組織を吸収するのは、中間マージンを取る、日本によくある非効率的なやり方と考える。
必要なのは連続したイノベーションを起こせるエネルギーを持った、今は小さな核のような企業が組み合わさって大きくなってゆくというお互いを選択できる効率性のあるやり方ではないだろうか?
それを前提に著者に質問
エクスポネンシャル(指数関数)的成長が認められる国のシステムがあると考えているのか?
日本という国はGAFAのように企業目標を<技術革新を継続して起こしていける>パワーを持つ人材育成が出来る教育体制なのか?
2周遅れとはそういうことではないか?
今、社会はコロナウイルスというリスクに対して個人情報をどう守るか選択を迫られている。
個人の権利を全く無視するという極端から、コロナウイルス対応に関しても個人情報は全く活用させないという極端な意見の、その間のどこに基準を置くかの選択を迫られている。
<ヒトとヒト>の議論とその結論としての合意がこの問題を解決するだろうか?
意見の100%一致はないだろう。
コロナウイルスが蔓延するまでに、その事態を人が理解し、議論し合意するまでの時間的な猶予はなかっ。国ごとのルール上で収集は強化されその場合わせの、行動に移行したのではなかっただろうか?
ひと段落すると同時に、個人情報の保護とは何なのか?守られるべき情報とは何かと改めて問い直す必要があるのではないか?
しかし、緊急時ということで個人情報をどうこう言うより先に行動してしまった国の経験は後戻りしない。
日本は幸い、踏みとどまったので検討する時間が有りそうだ。
個人情報を集めてビックデータとして活用され、世の中が効率用運営されながら、個人の不利にならないようにするには、こうなってほしい未来というのが描けていて、それに向かって技術革新が起こる。
それには未来を想像できる人と、技術的に解決できる人が必要だ
そして今そんな人がいないのであれば育てるシステムが人用ということになる。
がそこまでの時間的猶予はあるのだろうか?
ビッグデータは初期のような価値はどんどん低下して誰にでも活用できるようになる。
2025年を考えれば
著者の言葉を借りればその姿は(共感部分を引用)
「中央集権型社会」から「分散フラット型社会」への転換なのだろう。
「株主偏重主義」から「ステークホルダー主義」
「大胆なビジョン」から社会に求められる目的」
「メディアになること」が求められる組織と人
「会社の芯からSDGsに対峙する」時代の到来
などがあげられている。(共感する」10項目中5項目のあげた)
どれ一つ、待っていれば出来上がるものは一つもない。
こうなるとか、させられるとかではなく、分担してみんなで創り上げてゆくという<意思>がまず必要だろう。
まとめると
世の中に漠然としたストレスを感じるのは個人情報がどうなっているのか?
リスクは具体的にどこにあるのか?
俯瞰する技術が求められている。
とりあえずみなコロナウイルスとの共生も含めて2025年に向かってスタートラインに立っている。
トップダウン式中央集権型社会からポストデジタル資本主義というのが著者の言う通りなあるのだとすれば「個人をエンパワーメントする」というボトムアップ型システムを作ることが必須条件になると考える。
堀江貴文は「情報だけ武器にしろ」でこう言っている(引用)
l 情報リテラシーの低いを人を遠ざけるだけで、自分の情報感度は上がる。
l アウトプットするには「見切り発車」でいい。走り出すうちに、新たな知知見が増え、質も上がる。
l 主義主張は人に押し付けるものではない。そんなものは生きてゆくには邪魔な情報でしかない。
著者の言う<中央集権型プラットフォームに代わって、ボトムアップ式の新たなシステムが中枢を担うことになるでしょう>という分析に納得しないわけではないが、
あえてく意志の力>が必要なのではないかとシツコク感じながら、著者の言う<個人をエンパワーメントする>という意見に100%同感する。
信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています
