情報だけ武器にしろ。 著堀江貴文」を読む

副題 お金や人脈、学歴はいらない

帯ナシ

表紙裏

情報を主字することは、未来を見抜くこと。

未来がわかれば、あらゆる不安は消えさる。

「いまの『常識』はフィクションでしかない」『思いこみの罠』にはまってはいけない」

あらゆる嘘に振り回されず、今に集中し自由な人生を選択してゆくためのアウトプット&インプット術。

「情報弱者」に陥らず、人生のきぉゆふと不安から脱してゆく、情報を武器にする全方法を一挙公開

未来への挑戦

必要なことは誰も教えてくれない!

「相対的未来」を見抜く40の方法

情報は「狩り」に行くもの

人ではなく、情報と会おう

「ノイズ情報」に、アイデアの原石が潜んでいる

51対49の情報で勝負しろ

考える、調べる、試す

「思考実験」を繰り返せ

先に情報を与えるから、ポジションを得られる

「運の良さ」とは、情報に飛びつけるかどうか

個人が世界進出する時代

英語で情報を吐き出せ

技術は、もはやただの情報

「知識の差」は「情報の差」

情報なんて合理的に処理すればいいだけ

「情報」だけでなく「情熱」も持っているか

文章なんて、スマホで片手間書けばいい

 

爪を立てる

キーワードとして教養を取り上げた結論的な本になる。

まず教養について

共通認識

本というのは知の塊で、自分で変化することができないことは前に書いた。

例えば教養について3段階

第一段階:竹内洋著教養主義の没落

にあるエリートとしての共通認識を、

上田紀行氏(東京工業大学リベラルアーツセンター 教授)の考ええる教養教育

(自由人としての素養を取り戻す、今こそ求められるリベラルアーツ教育より一部を引用)

1少数のエリートが西洋の古典・哲学の知識を独占した大正教養主義

第2段階リベラルアーツ

本の題名<大人になるためのリベラルアーツ>

本当の教養とは何か?

「絶対に人を殺してはいけないか」「真理は一つか」など、簡単に答えの出ない問題と格闘し、異なる専門や価値観を持つ他社との会話を通して、真の「大人」になるための思考力を鍛える。

東京大学による新しい教養教育の試み

 

本の題名<リベラルアーツの学び方>

世界のビジネスパーソンと互角に戦うための、本物の知恵

今世代も国境も超えて通用する最強の武器(リベラルアーツ)を手に入れよう

ベストセラー「絶望の裁判所」著者による本格的かつ戦略的教養入門

知識ではなく知恵の時代、教養のための教養ではなく、至高や行動に英きぉゆを与え、ビジネスや人生そのものを成長させてゆくための本当の教養の学び方。

本の題名<教養教育と統合知>従来の教養教育はもっぱら大学1,2年生の実を念頭におき、専門(後期)教育を顧みずに論じられる場合が多かった。

だが今日必要とされるのはそうした専門教育の前段階としての教養教育ではなく、一定の専門教育を修めた後の教養教育(後期教養教育)、あるいは、専門教育を内包するような総合的教養教育である。

本書は、そのような問題意識から出発し、従来の教養教育論のレベルを超えて、「専門教育との相互連関」や、タコツボ的な学問状況を突破する「統合知」という観点から、18名の著名な論者が4部構成で教養教育を包括的、多面的に論じ合い、人間論・存在論や現代社会の重要なテーマを「統合的教養」という観点から考察する。

第3段階

本の題名<情報だけ武器にしろ>

情報を所持することは未来を見抜くこと。

未来がわかればあらゆる不安は消えさる。

必要なことは誰も教えてくれない。

今の自分の「教養」のレベルと同等の情報しか手に入らない

だから普段から「教養」を磨こう。

 

教養を3段階に分けることで、今を生きるにはアクター(行動するヒトとしての著者)として情報が武器になり、それを手に入れるには教養が必要だという著者の意見に説得力が増す。

そして教養はずっと磨く必要があることをサラッと言っている。

 

そして学生の教育課程では補えない教養が必要な具体的場面が著者により提示される。

それだけ社会変化が激しく、過渡期であることや、個人と社会のつながりという関係が成りたつためには個人の多面的な部分が必要となっているという著者の分析の上に成り立っている。

 

エビデンスベースという言葉が世に出回っている。

特に自然科学では<情報の共有がないと科学は進歩しない>という認識がベースにある。

最近<EBPMの経済学>という本が出版されているように人文科学系でも認められつつあるように感じるが、言うまでもなくまったく同じではない。

私流にいえば、自然科学に歴史はなく発見が全てである。

新しい法則は今までの積み重ねをすべて否定する可能性もある。

一方、人文科学は歴史的、地理的拘束性の上に成り立っており、地域の独自性をなくすことは難しい。

それでも共に求められているのは「知」の共有ということだろう。

教養が他人と話すうえでの共通言語だとすれば教養は進化していることになる。

社会科学も、自説を唱えることがオリジナリティを高めるという主張よりも共通認識は何か、お互いに共通土俵を確認し、その上に異なる建物を建てて差異を認め合うというようなことが始まっているのだろう。

例えば現在を捉えると、民主主義という大枠が共通認識としてある世界とそうでない世界があるという土俵の確認とか、ある事や、価値観を共有できる人とできない人の仕分けが行われつつある。

土俵はいくつもあって、地域的優先のある土俵、歴史的認識の強い土俵、そして経済的関係の強い土俵、市民連携による土俵など共通認識を生むグループとそれ以外に分ければ土俵はいくつでも作れる。

その土俵を額縁に例えれば、土俵がいくつあっても、複数の額縁を重ねてみることができれば世界は一つに見えてくる。エビデンスベースとは、分けて考え、統合して行動するよう求められているようだ。

 

「あなたは何ができますか?」と突然聞かれる社会と対話してゆく。

 

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

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