「ネットは社会を分断しない 著田中辰雄・浜屋敏」を読む

帯ナシ

表紙裏に本書の内容

多くの罵詈雑言が飛び交い、生産的な議論を行うことは不可能に見えるインターネット。

しかし、10万人規模の実証調査で判明したのは、世間の印象とは全く異なる結果であった。

過激な書き込みを行っているのは、いったい誰なのか?

何がネット上の議論を息苦しくしているのか?

計量分析で迫る、インターネットと現代社会の実態。

 

帯広告がないので各章の紹介

第1章 ネットへの期待と幻滅…認識され始めた「分断」

第2章 分断のネット原因説…選択的接触とパーソナルメディア化

第3章 本当にネットが原因なのか?その1分断が起きているのはネットを使わない中高年

第4章 本当にネットが原因なのか?その2ネットメディア利用の影響

第5章 選択的接触の真実…懸命なネット世代

第6章 ネットで見える世論都心の世論…罵詈雑言を生む構造的問題

あとがき…ネットの議論をよくするために

 

 

著者の伝えたいコト(引用)

 

ネット創成期の人びとが期待したのは、政治的・社会的重要な問題でこそ情報が共有され社会全体の知識レベルが高まることであったろう。

しかし実際には分断の進行により知識の共有自体が妨げられ、集合知の形成が難しくなりつつある。

従来型のマスコミは、なかば強制的に情報を見せることで、選択的接触を抑制する働きがある。➡リンクが張られたニュースだけを見るようになると人々は意見のいかよったちぃイサナ集団に分断されエコーチェンバーが起こりやすくなる。

 

ソーシャルメディアでの選択的接触は実は強くない。調べてみるとツイッターとフェイスブックで接する論客の4割程度は自分と反対意見のヒトであり、決して自分と同じ意見のヒトばかりではない。

ネットの上でお互いのことを期待した。

その期待は、まさに若年層を中心に実現しつつある。

 

ネット草創期の人々は、ネットの上で多様な意見や知恵の交流が起こり、お互いの理解が進むことを期待した。

その期待は、まさに若年層を中心に実現しつつある。

時間の経過とともに若年層が社会の大勢を占めてゆくのであるから、長期的にはネットの善い面が広がってゆくことになる。

ネット創成期の人々の期待はまだ死んでいない。

ネットには極端な意見を拡大して見せる特徴があるので分断が進行しているように見えるが、それは見せかけの事であり、実際には良い方向への変化が起きつつある。

本書の最大のメッセージは個の善い方向への変化を指摘することであり、いわば本書はねってぇの新たな楽観論と受け取って結構である。

 

課題は極端な議論だけを拡大して見せるネットの特性である。

 

人々の意見自体は分極化していないのであるから、それを変えようなどと大それたことを考える必要はない。

たかだかネット上での意見の現れ方の問題なのであるから、あらわれ方を変えるだけで良い。

両端の意見だけでなく、中間の穏健派の意見を代表するソーシャルメディアが現れれば問題はかなり解決する。

すなわち、分布の中間の人びとの言論空間を創ることが最大の大作になる。

 

爪を立てる

経験が行動を変えるとすれば若い人の経験が徐々に世の中を変えていくように楽観的だがそうだろうか?

少子高齢化が進む社会はそうでない社会から取り残されて、悪くいえば食い物にされる可能性があるので、積極的な努力やサポートが大切だとしたほうが良いのではないか?

若ければパソコンができたり、スマホの活用ができたりするわけではない。

教育システムの一部分に加える必要があるのではないか?

 

疑問

思考停止した人はそのままで良いのか?作らない方法は?

思考停止した人をどう活性化する手段は?

マスメディアの劣化がないか?スポンサーの意向を無視する事はできないので一見穏健的な意見はより浅いつまらない意見になってはいないか?

資金のないところにソーシャルメディアが成り立つとは思えない。何か工夫はないか?

 

流れてゆくように結果が出てしまうことと、流れに逆らっても目標を持つことの差をどうするのか?

この本の底流にはそんな問題が提起されているように思う。2025年のデジタル資本主義で述べられていたように「個人をエンパワーメントする」ことが自分に求められている。

 

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

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