「不安定化する世界 何が終わり、何が変わったのか 著藤原帰一」を読む
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表
「役立たず」にならないための国際関係論
「新冷戦」に突き進む世界情勢を徹底分析!
朝日新聞好評コラム「時事小言」待望の書籍化
裏
気がついたら、民主主義が後退していた」
新冷戦の兆しに包まれた不穏な世界
米イラン問題、中米摩擦、香港問題、中台関係、IS拡散、英国EU離脱、反・移民難民
ポピュリズムの世界的潮流、衰退する自由主義・・・・・
民主主義と資本主義の矛盾が噴出する現在をどう読み解けばいいのか?
表紙裏
「新しい冷戦」という妖怪が徘徊している。
これから何が始まろうとしているのか。
不透明さを増す国際情勢下、多様な民族や宗教の共存を許す多元主義の崩壊が始まろうとしている。
民主主義の後退、敵と味方の不寛容な対立、
所得格差の拡大と中間層の穏やかな没落…‥
通念や偏見を突き放し、日本と世界が置かれている同時代的な意味を探る。
この本の意味を考えるうえでのポイント4点
まえがきに代えてでこう言っている.
1. 学者の本業は、すでに終わった事件や決定をあとづけることだ。霧が晴れ、資料もそろい、何が可能で何が不可能ではないかがはっきりした時点で議論するのだから、頭がよさそうにも見えるだろう。だがその頭の良さは役立たずと表裏の関係にある。現場で選択を迫られたときに学者が適切な判断を下すことが出来るとは考えにくい。
著者のあとがきにこうある。
2. 時事評論を書くことは、クラウゼビッツをもじって言えば、「戦場の霧」に覆われ、目の前を見通すことのできない現実を前にして、ごく限られた情報を基に考える試みであった。どの事件が重要なのか、何が突発的な一過性の事件であり、どの事件より構造的かつ不可逆的な変化の現れなのか、その状況の中にあるものにとっては見分けることが出来ない。先の見えない霧の中で、できる限り正確に現状を把握することに努めてきた。(中略)
3. 一人で行う作業ではない。広島県の湯先英彦知事の呼びかけで始まった。「ひろしまラウンドテーブル」、プリンストン大学・北京大学・高麗大学・シンガポール国立大学・東京大学の専門家が集まる五大学東アジア安全保障会議などの国際会議は、現在をつかもうとして苦闘する同僚とともに考える空間だった。一緒に考えることのできる友人に恵まれたことを幸せに思う。(中略)
4. 時事評論はそのときそのときに読まれ役割を終える文章である。それでもそのような文章をひとまとまりにすれば、書かれたときのよろこび、悲しみ、そして驚きを含めその時代の表現を見ることはできるだろう。
爪を立てる。
この本をどう役立てるか?
著者のスタンスは4点にまとめてみた。
額縁効果を狙って分析を試みる。
イノベーションが社会を動かすときの役割を4つに分けて考える。イノベーター(創造者)?エキスパート(専門家)?セールスマン(拡散する人)?アクター(行為者)?
よりシンプルにいうと創り出す人、専門家、広げる人、活用する人。
活用する人(アクターと呼ぶ)が、より良く生きることが社会全体の幸福指数が上がるのではないかと考える。
アクターが世の中を変えてゆく。
その変化をつくり出すもとはイノベーション(技術・社会制度の変革ともに)であり
イノベーションの歴史・現在の状態を研究し纏める(エキスパート)専門家
起きつつある変化を専門家の分析を交えて普及させるためのセールスマン(拡散する人)
イノベーションを活用し世の中を変えてゆく当事者
著者は学者の立場をまえがきで述べている。学者の立場ではない現在進行形の出来事に対して発言している。
では著者は創り出す人なのか?社会システムを新しく創造するのは政治家や高度な行政職といった権力者と考える。
著者はそういう意味では、権力者として行動しているわけではない。
エキスパートなのかセールスマンなのかアクターなのかという問いが生まれる。
現状分析と、予測と、求めることが、その時々の文章中に混在している。
つまり著者のスタンスは読者に理解され同調されることを望んでいるが情報を提供して読者の選択肢を広げるほど透明化されておらず当然専門家としての知識がちりばめられてはいるが。時々の感想文や願い事になってしまっている。
つまりエキスパートとセールスマンとアクターの部分があって統一された著者の見解があるのではなく現象に反応したコラムということになる。
著者の価値観、スタンス紹介がこの本の中にないから疑問が…
こう書いている民主主義が法の支配と国際関係の基礎にあるからだ。どれほど多様であっても民主主義は政治権力の正当性の基礎であり、どれほど紛争を伴っても民主主義を共有する諸国は国際体制の中における紛争解決を模索してきたのである。法の支配なき民主主義という行の中で民主主義が危機に直面している。民主主義のもとで法の支配が失われる危機である。
民主主義に対して著者はどう考えているのだろうという疑問がわいてしまう。
過去の民主主義に理想を見ているのか?
民主主義は完成されたものではなく不完全なものであって、常に時間とカネと手間をかけてメンテナンスをかけていないと、寛容と説得で守り切れない多数決の問題という揺らぎの中で問題が起こってしまうことは必然ではないか?それでもなお、ほかの制度よりも良いという選択をしている現行制度なのだから、どうしたらよいのかを常に提案してゆくのが専門家なのではないか?
ノーム・チョムスキーがこう言っている(嘘と孤独とテクノロジーより引用)
そもそもアメリカが中東の石油支配に拘泥する理由は、日本と関連しているんです。
1950年代前半にさかのぼります。ジョージ・ケナン(アメリカ外交官・他)が、アメリカが中東の石油を支配している限り、アメリカは日本に対して拒否権を発動できることになる」と言っています。この方針は現在まで続いていて、今では日本以外の国に対してもこの姿勢が拡大しています。(中略)アメリカの中東政策は、アクセスではなくコントロールがその主軸なのです。アメリカが産油国であった昔からずっとこの方針は変わっていません。
この文が、どれほど真実を語っているか検証することはできませんが、少なくともアメリカの中東政策に対する視点を提供している
比べて著者の10年のコラムは基本的な、誰にでも語れる内容で終わっていないか?
アクターは説教されることを望んでいるのではなく、自分で判断する情報や材料を求めているのだから。
万人向けの<やってる感>の提供ではなく「ひろしまラウンドテーブル」のような集まりが気人文化学の共通項を創り出す組織となり、システム化されていればいいな―と夢想し、そうしたシステムを残すことが教育者の仕事の一部とも考えますが如何?
だからコラムの纒なんだよ!という編集者の声が聞こえてきそうな気がする。
読者はカネを払って本を買って読んでいる。
でも著者が出版した本全部を読めるほど時間も金もない。それに著者の本だけを読みたいわけじゃないと泣き言を付け加えておく。
そして本を読むというのは読む事でアイデアを貰い、ひょっとしたら行動変容につながるかもしれないと自己投資している。
よりシンプルにいうと創り出す人、専門家、広げる人、活用する人。に分けて考えるアイデアはマルコム・グラッドウェル著ティッピング・ポイントからいただいている。
信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています
