「ネオサピエンス 回遊型人類の登場 著岡田尊司」を読む

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IT革命は、心の絆を求めない新人類を生んだ。

最前線の臨床医が、最先端の進化論と出会ったとき…

39年間の臨床とデータが語る驚愕の未来レポート

急激に増えつつある「回避型人類」とは

l  単独生活が基本

l  セックスをしない

l  子育てに関心がない

l  集団への件をと恐怖

l  ヒトより物、物より情報を好む

l  ルールと騰勢を重視する

l  キレると何をするかわからない

l  蔓延する依存症と刺激中毒

l  死を悲しまない

表紙裏

27年間、医療少年院で一人の回避型愛着を示す若者と出会った。

そして今や、社会は回避型の人々であふれている。

回避型人間の数が、共感型の旧人類を上回るとき、いったい何が起こるのか。

その誕生を目のあたりにしてきた精神科医が、すぐそこにある未来を予言する。

生きる意味を見失った社会が到来したとき、あなたは耐えられるだろうか。

 

著者の言う回避型愛着スタイルとは(p35)にあるように

情緒的交流や親密な関係を避けてしまうという特性であり、それによって、表面的にしか人生を生きられなかったり、持続的な信頼関係を持つ存在を手に入れることが出来なかったりして、孤独な人生になってしまいやすいという問題を抱えているヒトのこと。

 

疑問をあげ爪を立てる

疑問

l  共感型人類とは何か

l  ディオゲネ、ニーチェ、ダビンチを回避型の例とするなら共感型の具体例は?

l  情緒は産みの母親以外は育てられないのか?

l  オキシトキシンとドーパミンの戦い?

l  P166回避型のトップは周囲の評価や気持ちに無頓着なだけでなく信頼関係に価値を置かないので…著者の言う信頼とはなんだ?

l  P185彼らが求めるのは子としての完全な平等と公平さである…否定的に扱うがエコ贔屓や忖度の世界を求めろというのか?

l  自殺には量と質の問題があって率だけでは評価できず、他人から押しやられる自殺は否定しても、自ら選択した自殺は認めてもいいのではないか(DAATH著シェリー・ケイガン)著者の求める最適解は一つではないかもしれない。

l  (p227)人間に残された重要な役割は、そのシステムを管理することである…管理するということはシステム自体が人間のものであり、コントロールすること、改良するコトといったリスクは人の手にあって、その先をヒトは目指しているのではないか?

l  P234我が子や一族にだけ富を残そうとする共感型人類に組織の長やリーダーを任せるのを著者は<良>とするのか?…‥すべての組織とは言わないが、身内や属するグループを優先するような組織体系を乗り越えようとしているという現実があるのではないか?

l  ゴースト化する人格には目標がないとなぜ言えるのか?住みにくい共感型社会に対し、テクノロジーを進化させて改善しているのではないか?その人格がなぜ目標がないと言えるのか?・・・・ヒトの目標は大脳の進化を優先させ、容量からこれ以上の進化を求めてAIとの融合をまで来ている。より知や創造する力を求めているのが現状ではないのか?

l  正義は六法全書の中に正義はない、あるのは秩序を求めたいという意志ではないのか?

あえて反論としての立場の爪を立てる

誠実とか正義とかを持ち込んでしまうと、それぞれの定義がなく、読者としては混乱してしまい、せっかくの共感型人類と回避型人類の対比までぼやけてしまいそうなのが残念。

回避型人間は個を強く意識するがその個が作る群れを見る必要があるのではないか?個は個として活動するが、画面を縮小してみれば群れとして新しい動きをしていないか?

ネオサピエンスという類型が新しく加わりもう少し輪郭のはっきりした(前向きで創造的なという意味で)人が現れると期待している。

理由は情緒的人間を回避型人間は対比するものではなく情緒的人間が愛着で結ばれたダンバー数の世界から、より広い階層や同盟のような社会を作るため、制度で社会を広め、グローバル化するという意味で制度は情報に置き換えられて交流する世界は広くなるし、広くなることで公共の場が現れ住みやすくなっているのではないか?

人と人の関係は生まれてから死ぬまで同じ小さなサークル内ではなく、人が成長する時間に合わせて人間関係や著者の言う情緒もモザイク化して、数多くのヒトとの接触で満たされるに間違いない。

親が提供してくれたコト100%を、親を含めた社会がシステムとして提供するようになって育ち、生きてゆく柔軟性がヒトには備わっているのではないか?

更科功は「残酷な進化論」で生き残るために人類は一夫一婦制になったと言っているが、加えて子孫を残すために人は協働で子育てをする父親も祖父母もその他の親族が協力することもあると言っている。子孫を残すために、より有利な方法をとるというなら究極は社会全体が子供を育てることになる。

何か所も著者の意見に反応するのは、本当は著者の言いたいことの代弁をしているような錯覚に陥る。

脱愛着に関して言えば最適解は2つあって、その1つは人間の関係性に大きく依存する著者の言う愛着、別の言い方をすれば贔屓が認められた世界観の中で生きる、もう一つは共感という関係性よりも社会システムに公平性や平等といったモノを求め、知的好奇心や個として納得する生き方に重点を置く生き方、その両極を頂点として、その中にある無数の<個人で決められる生き方>という選択肢が手の届きそうな時代なのではないか?

今は、その過渡期の混乱ではないか?少なくとも著者の言うネオサピエンスがこれから増えるとすれば、ネオサピエンスは知的好奇心にあふれていて、常に学習することに価値観を見出し、著者のあげる問題点を解決してゆくことになる。

 

改善しつつ前に進むのはこの新しい社会を「死の社会」とみることはなく「理想の社会」へ一歩前進とみるだろう。

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

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