「残酷な進化論 著更科功」を読む

 

「残酷な進化論なぜ『私たち』は『不完全』なのか 著更科功」を読む

 

帯の広告(フルカバー)

「絶望の人類史」著者、待望の新作!

腎臓病・腰痛・難産になるよう人は進化した!

最新の研究が明らかにする、人体進化の不都合な真実…

「人体」ヲテーマに進化の本質を描く知的エンターテイメント

l  人のほうがチンパンジーよりも、実は「原始的」だった!

l  人は腸内細菌の力を借りなければ、食事も一人でできない!

l  人類よりも優れた内臓や機関を持った生物は山ほどいる!

l  生物の寿命も進化によってつくられた!

 

序章  なぜ人は生きているのか

第1部 人は進化の頂点ではない

第2部 人類はいかにヒトになったのか

心臓病になるように進化した 鳥類や恐竜の肺にはかなわない

腎臓・尿と「存在の偉大な連鎖」…

第3部 人類はいかにヒトになったのか

腰痛派人類の宿命だけれど  人類が難産になった理由とは

一夫一婦制は絶対ではない…・

終章  なぜ私たちは死ぬのか

 

表紙裏

私たちヒトは進化の頂点でもないし、進化の終着点でもない。

私たちは進化の途中にいるだけで、その意味ではすべての生物と変わらない。

それに、いくら進化したって環境にぴったりと適応する境地には辿り着けない。

環境に完全に適応した生物というのは、理想というか空想の産物であって、そんな生物はいない。

……ヒトって、大したことはないのだ。

オンリー・ワンではあるけれど、ナンバー・ワンではないのだ。

だから、ヒトという種が偉いと思っている人には、ある意味、進化というのは残酷なのかもしれない。…「はじめに」より

 

教えてもらったこと

(p20)周囲からエネルギーや物質を吸収し続けて一定の形を作っている構造を「散逸構造」といい、複製する散逸構造をここでは仮に「生きている」と表現する

というのを前提に、の話。

40億年前の地球で、たまたま膜につつまれて、たまたま長く消えない、そんな「複製する散逸構造」ができたそして今のところ40億年の間、消えずに残っている、それが現在の地球の生物だ。

 

(p207)昔の生物には寿命がなかった。それから進化してゆく間に、寿命のある生物が現れた。寿命というものが、進化によって作られた可能性が高い。その結果、寿命のない生物と寿命のある生物が両方いるのだろう。

 

(p210)有機物を生物にしたのは自然淘汰の力だ、さらに生物を環境に適応させて生き残らせることが出来る力、それはこの世に一つしかない。自然淘汰しかないのである。

 

(p210)シンギュラリティは「技術的特異点」と訳されることが多いが、「今までと同じルールが使えなくなる時点」のことだ。具体的には「人工知能が、自分の能力を超える人工知能を、自分で作れるようになる時点」のことである。そしてシンギュラリティが訪れると人工知能によって人類は絶滅させられるかもしれないというのである。

 

(p211)シンギュラリティは、生物の世界ではすでに起きている。生物のシンギュラリティは自然淘汰が働き始めた時点だ。(中略)生物が誕生し、そして生き続けるためには、自然淘汰が必要なのだ。

 

(p213)死ななくては自然淘汰が働かない。そして自然淘汰が働かなければ、生物は生まれなかったのだ。死ななければ、生物は40億年も生き続けることはできなかったのだ。「死」が生物を生み出した以上、生物は「死」と縁を切ることが出来ない。

そういう意味では進化とは残酷なものかもしれない。

 

爪を立てる

まず感じるのは1年前の著作<年前の絶滅の人類史>を書いたら進化論を書かずにいられないだろうと感じていた。

なぜなら人類の進化を読むとその先にもっと時間の単位の大きい生物学を書いておかないと人類の位置が定まらない。

コスミックカレンダーによれば1月1日をビック・バン(大爆発)によって宇宙が誕生し、9月25日頃に、海の中に生命を生みだすもとになる要素が現われてくる。11月12日に、地球上に初めて光合成をおこなう植物が生まれ、12月31日午後10時30分、最初の人類が出現したとある。生物としてのヒトに焦点を当てるいのであれば、9月25日から書き始めたいと考えるだろう。

そして著者の言いたかったことの幾つかを教えてもらったこととして箇条書きにした。

これがどれだけ科学的に信憑性があるかを疑う必要が有るかどうか判らないのが、自分の足りなさといえる。

著者の生物学に対する深さが伝わるとともに、生物と機械の間にあるシンギュラリティの共通性は見つけられるのか?

ITに新しい形の生存競争、自然淘汰は生まれるのか?それとも著者の言う生物では絶滅か無限に増えるかという選択肢がITにはなく無限に増えるのか?

だとすれば一般に使われているシンギュラリティと著者の言うシンギュラリティには意味の違う部分が入っている。

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

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