「DEATH イーェール大学23年連続の人気講義『死』とは何か」を読む

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表紙表

人は、必ず死ぬ。

だからこそ、どう生きるべきか

表紙裏

なし

第1講 「死」について考える

第2講 二元論と物理主義

第3講 「魂」は存在するか

第4講 デカルトの主張

第5講 「魂の不滅性」についてプラトンの見解

第6講 「人格の同一性」について

第7講 魂説、身体説、人格説…どの説を選ぶか?

第8講 死の本質

第9講 当事者意識と孤独感…死を巡る2つの主張

第⒑講 死はなぜ悪いのか

第⒒講 不死…可能だとしたら、あなたは不死を手に入れたいか?

第⒓講 死が教える「人生の価値」の測り方

第⒔講 私たちが死ぬまでに考えておくべき「死」にまつわる6つの問題

第⒕講 死に直面しながら生きる

第⒖講 自殺

死についての最終講義 これからを生きる君たちへ

 

著者の考えがストレートに出ているポイント

(引用p26)

哲学書、それも入門書なのでアプローチ方法として2つあるうちの1つの方法をとる。

①賛否両論の考え方をただ紹介して自分は中立的立場をとり自分の態度をあからさまには打ち出さず自分がどちらの考え方を受け入れているかを明確にすることを避ける

②書き手は自分が受け入れている見方を読者に現に語り、その意見に賛成する意見を述べ、最善を尽くしてそれを擁護する。私がこれからすることはそれに近い。

・・・・ということで教授の立ち位置が明かされていて各講はテーマに従って教授の考えが明かされていてシンプルな答えがある。

 

著者のスタンスを具体的に紹介すると

魂が存在しないことを納得してもらおうとする。

宗教的権威に依存しない。

死は悪いものではない。

入門書なので、もっと深く語れることはあるということは付け加えられている。

 

重く感じる一言

人生は、何もしないには長過ぎるが、何かをするには短過ぎる。

 

爪を立てる。

内容について爪を立てることはできない。

なぜなら入門書でこの本をきっかけに考えを深める世界に入ってゆけと宣言されているので、一点だけの検討となる。<良き入門書であるかどうか>

著者の説明にあるようにアプローチ方法が明確なので理解しやすく、最高水準の入門書で、誰にも勧められる。

 

23年間つづく大学講義というのは、23年間、同じテーマを「アーでもない」「コーでもない」「あれは」「これは」と考え抜いたいわばエッセンスなのだ。

だから平易な言葉で、説得力のある内容になる。

一人の人の考え抜いた一つの完成形だと思わせることが出来る。

 

著者の本書に対する説明(引用p30)

これは哲学の入門書なのだがそれがどういう意味か説明しておく必要がある。

それはつまり、読者に哲学に関する背景知識があるという前提に立っていないということだ。(中略)だから何であれ、本書で私が述べてきたことがこのテーマに関する決定的な見解などと思いこまないで欲しい。むしろ、これは導入の言葉に近い。だがもちろん導入の言葉というのはこの上ない出発点となり得るのだ。

 

23年間連続した講義ができたということが内容を精緻に検討し、かつ1冊の本に纏め上げるという大きな仕事を成し遂げたという満足感があるだろうと推察する。

知的エリートである<大学で教授>と言われる人の一つの到達点のだろうと尊敬し、ほかの大学教授と名乗る人全員にこれ位の仕事をはして欲しいという希望になる。

<知のエリート>ならば競って、こんなレベルの入門書を目指してほしいし、出版社にはこうした本を効率よく出版する目を養ってほしいと願う。

 

これまでに数百冊書いたという著述業の人は、食うための仕事であり、世間に忘れられないための方策でもあるとすれば、購入する側としてもそれなり理解する。

しかし、まだまだ選択眼を養いきれていない自分には、似た本が多すぎ、目標とする本が少なすぎる為、書店の本棚の前をウロウロすることになる。

…限られた人生を送る者にとって時間も金も無駄にしたくないというのが本心の現れです。

 

この本は、ななめ読みすると本当の研究者とは世の中に何人いるのか?などという不埒なことも考えさせる本でもある。

 

勝手な感想

この本は頭で死を考えた本ではないか?

考えるということは脳で考えるわけだが社会やシステムという抽象的な世界を泳ぐ(生き抜く)ための脳の役割は大きい。

この本の死は、集団の共通項として死をテーマにし、個に及んでいるが、死は個々に訪れるともいえるだろう。個人(人の体や意識全体)が直接経験するもので、五感で感じ、個人としての体の経験とは個人のもので、死とはその経験が終了する事でもある。それが集団の共通項にもなる。

そうであれば、やはり死に瀕した人が読むよりも、これから精いっぱい生きようとする人が講義で学ぶ死だと考えるほうが順当な気がする。

 

なぜこんなことを言い出すかと言えば、AIの死を考えるようとしているからである。

人の体は遺伝子を運ぶ担体のようなもので、データをコピーする事で永遠のときを得る可能性に挑戦している。

もしAIがこの本をデ―プラーニング中に読み込んだらどうなるのだろう?

人間も機械も永遠の命に挑戦しているのではないか?

ということで、人間の生死を考えるにあたって、AIの進歩がどういった問題を孕んでいるかを考えるヒントにできたらと思いつく。

 

著者は言う(p69から引用)

私は、単に事をはっきりさせておくために次のように言うことにする。

物理主義者は魂の存在を全く信じていない。心は存在するが、魂は存在しないと考ええている。

だとすれば、投げかけるべき疑問はこうなる。

私たちは何を信じるべきなのか?

私たちは神を信じるべきなのか?

二元論者か、それとも物理主義者か?

魂は存在するのか?

 

そして著者の立ち位置に戻ると「魂が存在しないことを納得してもらおうとする。」となる。

 

この先はまたAI関連の本との付き合いになる。

私の立ち位置は、はっきりと断定できるほどのモノではないが人間とAIはある意味融合してしまうのではないかというボヤっとした感触があり、人と人の間の信頼よりも、人とAIの間の信頼の方が進んでしまうのではないかと考えたりする。

 

結局今回は信頼とは何かという以前からのテーマに戻るところもあるが、問題を広げることで、深く考えることが出来る。そうしたチャンスを投げかけてくれるのが見知らぬ人であっても、こうして目にできるということは何か有り難い。

 

ある意味完成された本と言える連想。

唐突だがもう一つ完成されていると感じている本の紹介をして終わる。

「美術の物語 著E.H.ゴンブリッチ」詳細は次で。

 

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています

 

 

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