「官僚と公文書 著新藤宗幸、国家と記録 著瀬畑源」を併読する

官僚制と公文書

副題

改竄、捏造、忖度の背景

表紙の宣伝

帯ナシ

表紙表

・・・・・いったい、なぜ公文書の改竄という民主政治への背信行為が行われたのか。

管理国の意思決定メカニズムはどうなっているのか。

官僚たちの職業倫理はなぜ「堕落」したのか。

これらは日本の行政の根幹にかかわる問題であるとともに、現代日本の官僚制や官僚像の再評価を問うているように思える。

表紙裏

官僚や官僚機構の劣化は、目を覆いたくなるほど凄まじい。

歴史への転嫁を伴う行軍所の改竄、数々の立法および行政上のエビデンス(根拠)の捏造.

エリート官僚たちによって勤勉に繰り返されてきた事実が、次々と発覚している。

何時から日本の官僚機構は、これほどまでに壊れてしまったのか。

人事を含めた組織改造、意思決定、情報公開法や公文書管理法など、官僚統制のシステムを問い直し「官邸主導」の暴走をえぐる。

 

 

国家と記録

副題

政府はなぜ公文書を隠すのか?

表紙の宣伝

帯の広告

「原則なき国」からの脱却に必要なのは何か?

皇室会議議事録、

政府統計偽装、

年金をめぐる金融報告書、

森友加計文書など・・・・・

「私たちはこの数年で、公権力が文書を隠して、捨て、開き直る光景になれてしまった。

しかし、ダメなものはダメ」…武田砂鉄氏

序章  新自由主義時代の情報公開と公文書管理制度

第一部 公文書の危機

第一章 文書「改竄」と民主主義の危機

第二章 政策決定過程の文書を残すことの意義

第四章 イラク日報問題に見る公文書公開の在り方

第五章 加計問題に見る公文書公開の在り方

第六章 愛媛県公文書管理条例の問題点

 

第二部 公文書管理をどうすべきか

第七章 皇室会議の議事録、昭和天皇「独白録」

第八章 宮内庁宮内公文書館

第九章 行政文書管理に関するガイドライン改正

第十章 電子メールは公文書か

第⒒章 政府の公文書管理適正化の取り組みをどうとらえるか

 

第三部

第⒓章 行政文書の定義から外れる「歴史文書」の保存問題

第⒔章 安曇野市文書館の開館

第⒕章 地方公共団体の公文書管理問題を考える

第⒖章 アジア歴史資料センター

 

第四部

対談 情報公開と公文書管理の精度をどう機能させるか

   三木由紀子(特定非営利活動法人情報公開クリアリングハウス理事長)

 

 

併読する意味は

2冊とも民主主義を自分たちの住む社会に必要なものとして捉えている。

民主主義の根幹であるところの公文書管理、情報公開についての認識は官僚制と公文書では民主主義の価値が根付いていないと言い、国家と記録では民主制を支えるいろんな仕組みや活動がまだ脆弱であるとしている…・ほぼ共通していると考えられる。

 

解決策としての2冊の違い

①国家と官僚の著者新藤宗幸は、安倍政権の「政権主導」の装置と手続きの改革とならんで、官僚制の構造に徹底したメスを入れねばなるまい。そうでなければ、情報公開も公文書管理も、政治・行政の統制手段とならないばかりか「歴史への責任」も果たすことが出来ない。

と結んでいる。・・・昔の官僚は本当に高潔で優秀だったような認識を著者から感じるがその証明はない。

誰がメスを入れるのか?その答えは著者にはない

代返として…‥参議院議員が超党派で民主主義の基盤を守ることを目的に議論され、結論に至るまでの経過と参加者名、やその発言をすべて電子的に記録し習性も加工もした記録が残るようにしておけば問題は解決できる。情報公開のルールにのっとり情報公開時に検索出来れば効率的にもなる。

 

②国家と記録ではどこから行けば本質的な議論により近いところで、ちゃんと論がたつかを考えなければいけないとして、「なぜ選ばなかったのか」ということを記録しておくメリットをあげている。当事者として関与したい人が関与できるような仕組みにしてゆくことを大事にしている。

つまり選んだことに対する責任と問題の原因の議論をしないと、過去はもういいから前向きな議論だけをしようとすると、同じ失敗を繰り返す可能性があることを指摘している。

 

2つの本のスタンスのちがう点の紹介

官僚制と公文書で著者は(引用p232)行政の執行社会的使命の認識度合いと、組織の管理・監督者としての能力を、国民の政治的代表として、また当該行政機関の執行部としての評価でなくてはならない。

「そんな資質を持った議員はいるのか」といった議論はやめておきたいそれは「天に唾する」ようなものだ。政治主導とは、こうした資質を持っ政治家を鍛え上げ、彼らに官僚組織の統御をゆだねるのだから

 

国家と記録では著者は具体的成果としての安曇野文書館開館の紹介

プラス第4部での対談の中で

(引用p221)一昔前とは政策提言や実現のための活動をしている人たちの行動や考え方が違ってきていますよね。論点化や焦点化して問題について事実や実態の調査をしてそこからナラティブなストーリーができて、それをもって政府に働きかけるためのロビー活動をするという。ただやっぱりそういうことが出来るのは、困っている人の顔が見えるとか権利を侵害されている状態がわかるとか環境問題のように視覚的にも把握しやすいところがある。

 

爪を立てる。

官僚が戦前を引き継ぎかつ、定年まで勤めあげる組織であれば戦後まだ2~3代しか世代交代していないことになるのであまりにも新陳代謝が遅すぎて変化についていけないのではないか?

 

人は評価者に向かって仕事をする。

政治家は評価者が一応市民だから市民の顔を窺う世の中ってそうでなければオカシイし政治家が官僚を評価するのであれば政治家に向かって仕事をするのは当然の事だろう。

 

行政が市民の信頼を得るには公平性と透明性がきちんと守られていることを、事ある毎に示してゆく必要がある。

しかしそれをだれが評価するのか?

官僚の目線を市民に向けるには政治家に向けさせるしかないのではないか?

であればその行動としてすべてロビー活動ではないだろうが、選挙によって意思表示するのはどうか?

選挙の重要さが一層増すのではないか?

 

投票の判断材料としての公文書管理は官僚が民主主義を支えることのできるある意味、数少ない積極的な参加行動ではないのかと考えられる。

 

民主主義を深化させるには時間も金もかかると言われるが

最近地球儀を見ながら、豊で、強い社会を創るにはそれくらいの努力は必要に感じている。

終わりに

官僚制と公文書の著者と国家と記録の著者は内容に違いがあるが世代も違っている事に少し安堵する。

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています。

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