古生物学者、妖怪を掘る 著荻野慎諧」を読んで考える

「妖怪学者、妖怪を掘る 鵺の正体、鬼の真実 著荻野慎諧」を読んで考える

帯の広告

妖怪は生きていた?

鵺とは、鬼とは、河童とは…

科学の徒が挑む、スリリングすぎる知的遊戯!

日本に遺された古い文献を科学書として読んでみると“怪異”は全く新しい姿を見せ始める。

²  鬼は人を喰らうというけれど、じつは…。

²  ヤマタノオロチはなぜあんな形状なのか

²  鵺は、動物園にいる「あの生物」!?

²  一つ目小僧や入道は度押して一本足?

²  「月の落としたウンコが珍重されていた!?」

表紙裏

鬼、鵺、河童、一つ目入道…。誰もがよく知るあの妖怪は、じつは実在した生き物だった!?

遺された文献を、古生物学の視点から“科学書”として読み解いてみると、サイエンスが輸入される以前の日本の科学の姿がほの見えるだけでなく、古来「怪異」とされてきたものたちの、全く新しい顔があらわれる…。

化学の徒が本気で挑む、スリリングすぎる知的遊戯!

 

 

帯の広告を紹介しているのは、こんな本があるからです。

妖怪という言葉に感受性の高い人や

鵺(ヌエ)の鳴く夜は恐ろしいというキャッチコピーが受けた悪霊島(著横溝正史)を知っている人が手に取った後、書棚に返せる強い気持ちはたぶんないと思う。

この本の広告の完成度が高い本だと感じられる。

 

そしてこの本の中身と言えば

(P200)にこうある。「古生物学方面には、こういった企画はいい迷惑であろう。

ただでさえ、居丈高な分野からは冷ややかな目で見られている。「曖昧なモノなど書かずに論文を書け。ごもっともである。」

(P160)にあるように、著者の言うN=1に科学?はエイプリルフールの延長にあると答えたいと言っているし、本質的な研究の傍らにある遊技なのであると書いている。

 

著者の言う(P178)江戸の博物学はなぜ花開いたかというくだりに<それには土地の豊かさが多大に影響している。めずらしいものに価値を見出す文化の訪れはありていに言って富みあってのモノダネであった>とある。

江戸時代は豊かだった話の続きで

江戸時代をキーワードにしたもう一冊の本の紹介。

「江戸の妖怪革命著香川雅信」

帯広告

妖怪は江戸時代に遊びになった!

江戸時代に百五十年にわたる太平の世となったこの時代に、現代につながる様々な社会史的転換が起こっている。…そしてこの時、妖怪もまた「商品化」されたのである。それも、人間の娯楽の材料として。

双六、妖怪のカルタ、おもちゃ絵、凧、人形などの「妖怪玩具」、さまざまな種類の妖怪が描かれた「妖怪図鑑」、妖怪を出現させる「妖怪手品」のマニュアル本など・・・・、かつて人間を恐怖で震え上がらせた妖怪たちは、人間を楽しませるための道具になったのである…「はじめに」より

 

なぜ妖怪を取り上げたか?

2045年ともいわれるシンギュラリティ(技術的特異点)に到達してしまうと科学の進歩が速すぎて、人間は科学と似非科学の区別がつかなくなってしまうのではないかという心配をしている人がいる。

もしそうなれば、人が判断し行動するときのエビデンスは江戸時代以前のレベルになってしまい、頼れるのは、信じたいコト(モノ)を信じる世界になるのかもしれない。

怨霊、妖怪、の類はこれからも生き残るだろうが、それは人毎に違った姿をしていて、人それぞれをそれぞれのかたちで豊にしてくれるものと信じたい。

 

 

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています。

 

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