「読書の価値 著森博司」を読んで考える

帯の広告

誰も言わない「読み方」を教えよう。

より深く、より広く、より自由に。

人気作家が初めて明かす読書の極意。

なんでも検索できる時代こそ、本を読む意味がある。

僕は本を読むのが苦手だった。

速読は読書とは言えない。

「つまらない本」にも読み方がある

本選びで大事にすべきただ一つの原則

僕は一度読んだら忘れない

「読みやすい本」は流動食と同じだ

教養とは「保留」できる能力をいう

表紙裏

なんでも検索できる時代だ。娯楽だって山のように溢れている。それでも、本を読む事でしか得られないものがある。著作発行累計1600万部を誇る人気作家が、並外れた発想力とアウトプットを下支えする、読書の極意を明らかにする。

本選びで大事にすべきただ一つの原則とは「つまらない本」をどう読むべきか?きれいごと抜きに読書という行為の本質を突く、唯一無二の一冊!

 

多くの共感する部分は省略し、あえて爪を立てる。

 

まずこの本は、著者自身の自己分析として<子供のときに遠視が原因で本を読むのが苦手、一度読んだら忘れない人で、言葉で考えない人>の書いた「読書の価値」と言いたい。なぜなら天才(著者)と凡人(私)の差がありすぎて共通点を探すのが難しい。

 

この本を理解するために2種類の読者を想定する。

第一に森博嗣という作家の愛読者。

第一に想定されるグループは作品以外の著者の思考法や生活の一部の紹介があって一層親近感を増す方向に進むだろう。帯広告にあるように「なんでも検索できる時代こそ、本を読む意味がある。」に表されていて、著者の作品からは知ることが出来ない著者の一面を知ること事ができる。

 

第二の読者は読書の価値という題名で購入した人だと思う。

その人は帯広告や表紙裏の紹介文で内容を期待した人だろうと考えられるグループ。

 

題名で購入した人にとっては戸惑いがあるかも知れない。

何故なら著者の個性に共通点を探せないそして内容に関しても共通点を探すのが難しい。たとえば、

①<(P162)の自分の興味の範囲でとことん知識を深めてゆくのも大事ではあるけれど、それ以上に、無関係なものを眺めることが有意義だ。結果的にそれが自分の興味対象で価値に変換されることだってある。>とか

<(P95)本の機能というのは読者の能力に依存しているその最たる部分が「読む本を選ぶ」という行為にあるのは自明だ。>

とあるが、それなら著者の言う読書の価値とは何なのか?

言葉で考えない著者、文章からイメージする著者が<(P159)連想のきっかけとなる刺激は日常から離れたインプットの量と質に依存している。そしてその種のインプットとしての効率が良いのがおそらく読書だ。と僕は考えているのだ。>と語る。

これは明らかに天才の創作の手段としてのイメージで、凡人の読書に一般通的に通用するかわからない。結局巨人の肩に乗っているのではないか?

 

<人と人の関係>を考える時に人とどこが違うのかを求める人と、人と何が共通しているかを追う人がいて、著者は明らかに人と違う自分を話している。

人と人の間にはいろいろな違いがあるのを認めながら、ココが人と同じという共通部分を求める人、つまり価値観、知識、目標のある部分を認め合うことを主目的とした人にとってこの本は「森博嗣の読書の価値」についてはこういうものの考え方もあると認めながら対極にいる人と考えるだろう。

 

本は人選びだと著者は言う。それはきっかけという入り口は同じかもしれない。

しかし生身の人間は地理的にも歴史的にもその場所とその時に限られるという制約と密な人間関係がある。

生きるための「知」の人間と本の差を比べれば、人は圧倒的に(良い時も辛い時も)密であり、本は圧倒的に(時間的にも空間的にも)広いという測定メモリの違いがあると考える。

以上、著者との違いを何とか考え、こじつけてみた。

 

もしも、あなたにとって読書の価値とは?と問われても生活の一部としか答えようがない。つまりこの本の題名に

馴染めないところがあって購入した本。

価値とは:どれくらい大切か、またどれくらい役に立つかという程度。またその大切さ。ねうち。

 

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています。

 

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