「PUBLIC パブリック 著ジェフ・ジャービス」を再読する

一刷2,011年

帯の広告

かつては秘密を握るものが権力を握った…

今やオープン戦略が世のなかを動かす!

ソーシャルメディア。パブリック経済、ガバメント2.0

大公開時代の新しいフロンティア

裏パブリックのメリット

つながりが築かれる…企業も個人もパブリックになることでつながれる

他人が他人でなくなる…パブリックな場はなじみの店のようになった

コラボレーションが生まれる…企業はβ版を公開して顧客とともに製品を作る

集合知が生まれる…インフルエンザの伝播予想から交通渋滞の解消まで

完全神話が払拭される…イノベーションを生むのは不完全でも開かれた場だ

偏見を解く…プライバシーはタブーをつくりだし変化を阻む

名声が得られる…誰でも注目されたい…人間だから

組織する…中東革命は「ツイッター革命」ではないが人々を組織した

僕らを守ってくれる…社会はパブリックになればなるほど安全になる

開かれたネットの価値を最大化せよ

表紙裏

貴方はどこまで公開しますか…

本名、職業、年収、居住地、写真、家族、買い物……今の気分、今いる場所

食事、見ているテレビ、一緒にいる人・・・・・

 

 

プライバシーをどう定義するか(P137)の引用の引用アラン・F・ウェスティンは1967年に出版された「プライバシーと自由」になかでこう定義している。

「プライバシーとは、個人、グループ、組織がいつ、どのように、どこまで自分たちに関する情報を他社に伝えるかを決める権利である」つまり自分について知られることを制限しようとすることだ。

1960年アメリカの不法行為の権威、ウイリアム・プロッサーはプライバシーの侵害を4類型に定義した。

1.      一人で他人から隔絶されて送っている私的な生活状態への侵入

2.      知られたくない私的な事実の公開

3.      一般の人に誤った印象を与えるような事実の公表

4.      氏名又は肖像を、自らの利益のために登用する事

等古典的な枠組みは孤独になる権利を暗に有している。

 

プライバシーとパブリックの倫理

(P160~P166)僕らの視点…個人情報の発信者であり、侵害者になり得る人たち…からプライバシーを見るのではなく僕らの情報にアクセスできる人、企業、組織の視点でそれを見ることもできる。

問題は彼らが手に入れた情報で何をするかだ。

倫理的な選択がなされ、責任が生まれるのもその点だ。

プライバシーとは「知る」倫理だ。(ポイント紹介)

情報を盗まない

情報であなたが何をするつもりかをはっきりさせる

情報を守る

情報源を明らかにする

自分に情報にアクセスできるようにする

人の不利になるような情報を使ってはならない(報いを受けて当然な人を別にして)

コンテクスト江尾考慮する。

価値を加える

 

「パブリックとはシェアする」倫理だ(ポイント紹介)

透明であること

オープンであること

コラボレーションを促すこと

リスペクトにつながること

価値を与えること

気前よく分け与えるその理由がある時にだけシェアする

共通の基準を使う

パブリックなものを守る

 

(P179)悪いことが起きる可能性があると言うだけで、新しいテクノロジーを規制すれば、良いことの目も積んでしまうかもしれない。

(181)僕らはシェアしすぎる人たちをうぬぼれ屋とか自己顕示欲の塊とかおもいがちだ。

しかしシェアしない事の中に、ものすごく自分勝手な何かがある。

 

(P208)ブロガーとは自分だけのパブリックを立ち上げ、それに興味がある人が集う。

自由とはそういったものだ。

それが人々に力を与え、どんなくだらないことでもしたいことをやらせてくれる。

 

(P328)今後、自社の知的財産を他社にオープンにすることで、新たなビジネスモデルや製品を開発し、革新を起こす。

そのためには一社のみの独善的な価値ではなく、社会も視野に入れた、共有し合える価値を中心に結びつくことが重要だ。

(P329)消費者は企業がコントロールすべき対象ではなく、絆と信頼によるパートナーとなるかもしれない。

日本人である私たちは、3・11から今なお続く放射能汚染の処理問題や損害賠償などへの対応を見るにつけ企業と施政者による統治の限界を感じている。

それだけではない。

その後も上場企業(パブリック・カンパニー)による使途不明金をめぐるスキャンダルが続出し、我が国においてパブリックとプライベートが点灯している現実を突きつけられている。

それはすべて、名ばかりのパブリックの限界だ。

本書で引用されたウィキリークスの創始者であるジュリアン・アサジンの言葉が痛烈なので、ここで引用しておく。

「透明性はその人が持つ権力に比例しなければならない」

 

(P330)インターネットはパブリックそのものではない。

インターネットはパブリックを創り出すジェネレーターだ。

私たちがシェアしないと、パブリックは生まれない。

善意のユーザーになかに、デジタルワールドの秩序、独自性、そして正義をつくりだそうとする集合的な力がある。

新たな善き社会がここに生まれつつあるのだ。

 

2011年にこの本が訳されている。

確認したかったこと。

インターネットの普及によって、プライバシーが侵害されているのではないか?

行動が管理されたりビックデータによって自分でも知らない行動が予測されていたりすることに不安を感じる。

どこでプライバシー問題を乗り越えたか?ということでした。

 

8年前に訳されている本を再読するとき、著者たちは今までのプライベートとパブリックを二項対立ではなくテクノロジーの発達による隠すのが当然と思われていたプライベートが、パブリックに転ずることやそれによって形成された公共圏の意義にたどり着いている。

果たして2019年の今、社会はシェアリングエコノミーを実践し、個人ではブログという自由を活用し、企業はオープン・イノベーションという概念の中で有機的に物事を進める方法、ルール作りをどうするのか?

課題は山積している。

それをこなしてゆくのは新しいPUBLICの育成だろう。

 

さてこの本の監修・解説も「FREE」「SHARE」に続く小林弘人氏なのでさすがにチェック。

BBT大学専任教授として名がある。

その教授の解説の最後の項目(P320)

パブリックネスは、無窓主義者の見る夢か?の中で著者ジャービスの言葉として「善意のユーザーの中に、デジタルワールドの秩序、独自性、そして正義をつくりだそうとする集合的な力がある。

新たな予期社会がここに生まれつつあるのだ。」

この点を楽観的過ぎるとみる向きもあるだろう。ニューパブリック市場で本書を批判したエフゲニー・モロゾフもその一人だ。

ジャービスはモロゾフに対し、公開されたグーグルドキュメントでこう語ぅっている。

「楽観主義者であることを、僕は詫びない。夢想も受け入れる。

僕たちは良い未来を築くために可能性の一端を考慮すべきだ。

悪しきから守るため、そして良くすべく努力するために」

さて皆さんの考えはどうだろう?できればその考えをパブリックにしてみてはいかがだろうか。

著者も望むところだろう。

と監修・解説者は結んでいる。

2011年に訳本が出版されから今日まで監修者の問いに答えてきた人は何人くらいいるのだろう?

 

個人的な感想としては、イノベーションは全力で進むみ、簡単に世代交代をする

人間の信頼とか価値観とかは修正はしても転換には至らず、次の世代にならないと大きな変化に対応できないのではないか?

人間の知識はある程度の年齢までに吸収することが終わり、その後はその知識の活用で活動しているのではないか?

FACTFULNESSで言っていることを改めて感じている。

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています。

 

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