「社会のしくみ

雇用・教育・福祉の歴史社会学 著小熊英二」を読む

 

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日本を支配する社会の慣習

データと歴史が浮き彫りにする社会の姿!!

「この国のかたち」はいかにして生まれたか

“日本の働き方”成立の歴史的経緯とその是非を問う

なぜ日本は変われないのか?

本書が検証しているのは、雇用、教育、社会保障、政治、アイデンティティ、ライフスタイルまで規定している「社会のしくみ」である。

雇用慣行に記述の重点が置かれているが、それそのものが検証の対象ではない。

そうではなく、日本社会の暗黙のルールとなっている「慣習の束」の解明こそが、本書の主題なのだ。(序章)

本書の内容

日本社会は「大企業型」26%、「地元型」36%、「残余型」38%で構成されている。

「団塊ジュニアの受難」は1980年代には既に予想されていた。

日本は相対的に「低学歴化」が進んでいる。

長期雇用は必ずしも「日本型雇用」の特徴ではない。

新卒一括採用、定期人事異動、定年制などの原型は明治の官庁から生まれた…など

 

 

ここで著者のこの本に関するスタンスが述べられているので紹介すると(P586)

いわば人文科学の基礎研究だと考えている。

すぐに応用できる政策提言をした研究ではない。

特定の学問分野のジャーナルに投稿するにも適さない。

だが自分が生きている社会を深部で規定している原理の解明は、学問分野に細分化される以前の基本的な問題意識であり、それを追究することも独自の貢献たりうる研究ではないかと思う。

とある。

この本の対象読者を考える。

読者対象が専門家でも耐えられるような詳細な引用・参考文献、が各章の跡につけられていたり、各章の初めに要点がまとめられていたりしているのは、多くの人に読んでいただきやすいようにという意思を具現化している。

雇用・教育・福祉に関係するアクター(実践者)をターゲットにしているのだろうし、そうした人たちが何をベースに自分の考えを組み立てていくかと考えたとき、そのベースとなるべき教科書、副読本の役目を果たすことを目指している長に感じられる。

真新しいことを提案しているわけではないが日本の社会慣習を、メリハリをつけた形で纏められているのでそのストーリー性も高い

著者の創造する読者に対するアプローチは成功するだろうと感じられた。

 

 

読後残ったポイントの紹介

日本社会は大企業型、地元型、残余型でできていて、残余型に含まれるグループは地元型・自営業が減少して増加している。

地方がなぜ地盤沈下しているかの解明になる。

大企業型の構成に変化がないのであれば、技術革新、産業政策などに希望が持てるはずだが構成率は変わらなくても、社会全体の地盤沈下はどうにもならないということなのか?

人口減少か?それとも残余型の増加か?

いずれにしても、解決策はこの本を読んだ人がどう行動するかにかかっている。

日本の歴史的拘束性、地理的拘束性を見る時、明治の官僚制度からいまだに脱却できないようだが歴史の持つ重い足かせのように感じられる。

具体的には

組織の骨格である昇給・昇格・定年などは軍隊・官僚の方式を民間に転用したものだった。

地元型の現象ないしは劣化による残余型が上昇することで貧困が発生している。

年金は大企業を想定したものでそれ以外の人に定年はないのが前提だった筈だ。

 

世界は地域ごとの歴史をそれぞれが持っている。

他国も同じように歴史的拘束性、地理的拘束性をそれぞれ持っていることを考えると歴史は遅々として進まないことを思い知らされる。

具体的には

外国企業は3層構造をなし、企業横断に採用や昇進が行われる。

世界各国の新規採用教員の大半は教育学などの修士号を持つようになってきた。

日本の低学歴化が進む。

その訳は本の中で説明されている。

 

著者は政策提言をしているわけではないが社会保障や教育、労働などの専門家が議論することが望ましいと言っており、その時の著者のキーワードは「透明性」である。

具体的には

P576にある透明性と公開性が高まり、横断的労働市場や男女平等が達成されてもそれで問題が解決するわけでは必ずしもない。

著者は「残余型」の増大してくる状況と合わせて社会保障の拡充によって解決するしかないと考える。その例として問題を呈示している。

そして著者が提案する問題と3つの答えの例を呈示し

その答えを読者が出すよう求めている。

周囲の人と話し合ってみてほしい。

その過程を通じて、あなた自身にとっての本書の結論を作っていただきたい。が結びとなっている。

 

全体を通して、私はこう考える。

戦後のキャッチアップ経済は明治時代からの軍隊や官僚制度を基盤にして高度成長期を迎えている。

その歴史的拘束性、そして地理的拘束性をどのように乗り越えてゆくかを検討するとき、

著者の透明性が一つの解決策を明らかにしている。

つまり問題がどこにあるかを透明性によって具体的にとらえることができる。

それに逆らうような、例えば行政上の記録を取らないとか、議事録がないとか、調査報告書に対する対応をだれが責任をもって処理した問い記録などは必ずオープンにしなければならない。

しかしそれは問題の解明であって解決策ではない。

その責任を分担し、客観的記録を作る人、判断材料となるデータを作成する人。データを解釈して政策に落とし込む人、せめてその3段階に分割して責任分担をしないと問題の解明と、解決策の作成はできないのではないかと疑っている。

 

 

人の歴史は歴史のその時々の問題に向かって、その時のベストチョイスを行っている。

最低限その時の合意を得ている。

ゆえにその歴史的拘束性、そして地理的拘束性をどのように乗り越えてゆくかを検討する時にこうした研究が下敷きとなるのだろう。

対処療法ではどうにもならないことがこの20~30年間で明らかになった。

2番ではだめですか?と大声で聞いた人がいる。

トップを走っているから、もがきながらその先を見据えている。

<失敗の経験>という一見無駄なことを蓄積して、視野の射程を伸ばしてゆく。

そんなパワフルな社会になってほしいと願っている。

 

心に残る一文

「未来にとっての過去を変える」という形式で現在の自由を行使しているのです。

『「正義」を考える』著大澤真幸P275

・・・・過去は未来のためにあると勝手に解釈しています。

 

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています。

 

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