『「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学』を読む

 

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「より良い社会」はもはや幻想か?

正義について論じよう

NHK出版新書新装刊

 

生きづらさに満ちた時代の「正義の条件」をさぐる、大澤社会学、至高の到達点!

第1章 物語化できない人生…「生きづらさ」の原点を考える

第2章 正義の諸理論…サンデルからアリストテレスまで

第3章 資本/国家/民主主義

第4章 普遍的「正義」への渇望

第5章 癒す人 正義と<普遍性>

 

表紙裏なぜ「正義」なのか?

経済格差の基に社会が分断され、異文化との軋轢や理解不能な他者への脅えが生じるなか、「善」はもはや抽象的なお題目にすぎないのか?

ケータイ小説から沖縄基地問題までの多様な事例の検討、意表鵜をつく思考実験、

そしてカントからサンデルに至る正義の理論を徹底吟味し、普遍的連帯のアクロバティックな可能性を論じる。

大澤社会学、至高の到達点!

私の感想です。

これが社会学の本かという位、一つの言葉の意味が深い本を、短期間で扱おうとすると、どこかで問題が起こると不安にさせる本ではあります。

ただそうした読者に向けて、理解しやすいような工夫がされている。

例えば第3章の終わり(P156)で第1章第2章までの議論とどう繋がっているかをまとめてくれたり

(P244)では「でまとめておきましょう」。

また、「著者の考えを僕は…と述べてきました。」と示してくれている本です。

 

そんな著者の優しさを踏まえて、個人的に深く留めておきたい部分の紹介です。

学習したこと

第1に考え方による違いを仕分けする

下の図で説明されている。

 

 

 

コミュニタリアン⇚……(特殊化)……・・・・・隣人愛………(普遍化)……⇛リベラリズム

                     

でコミュニタリアンであるサンデルの限界は共同体が持っている善から独立した超越的なレベルとしての正義は認めない。共同体内の人と外の人を差別的に扱う。

つまり海外援助と国内の福祉とは区別される。

このたまたまひかれた境界線に、哲学的に考えて重大な意味を見出すことに著者は疑問を感じる。(P115)

サンデルの読み方をより広くさせてくれた。

 

第2に問題を具体的に想像させてくれる

この本が取り上げる問題を解く手がかりを提供してくれる

別の共同体で我々から見てとてつもない虐待や人権侵害が行われているとき、我々はどうすべきか、もしそれを制しすべく介入するとすれば、それはどのようにして正当化できるのか、それともうるさい介入を避けるべきなのか

普遍主義の名のもとに介入も不介入もともに正当化できてしまう。(P256)。

個人個人の立場を判っていると「どして?」と疑問を感じたり混乱したりすることを防げるような気がする。

例えば、「多様性を認める」とか「その問題は我々の内にある問題なので外から口を出すな!」という発言があった場合の相手のスタンスがすぐに理解できるので説得しやすい。

第3に寛容とは

著者の「寛容」とは、相手が変なことをやっていても変わった食事の仕方をしていてもそれでもいいのではないかという寛容とは違い、

それぞれの文化が内に保持している「自己に対する不寛容」によって連帯する、と。あるいは、自らの中に収容しきれないような…あえて言うと「自己に対する否定性」…,そういうものによって繋がる、と。

この事で異なる文化、特殊な文化で行われている人権侵害や、あるいは暴力的慣習に対して、我々は介入可能になるということでした。

これは自らに対する不寛容です。(P260)

第4に普遍性

普遍性とは「われわれと「彼ら」の間には(普遍性)が貫かれている。

それぞれの文化が、自分自身に対して持つ違和、自分自身に対して抱く否定性が(普遍性)です。

 

第5に過去の(様相)を変える

「未来にとっての過去を変える」という形式で現在の自由を行使しているのです。(P275)

つまり現在生きている人が未来のために核を作っているということ。

 

再読すると次の興味に関する部分が出てくると感じられる本です。

著者のほかの本も読もうと感じさせる、難しいが温かさを感じさせてもらった一冊でした。

 

 

 

信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けています。

 

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