個人的な作法(ブログを書く上で)の紹介

本と遊ぶと称して勝手なことを言っています。

著者から見れば「汗とストレスの結晶を軽く扱うな」という事になるかもしれません。

そこで自分なりの作法を紹介しておきます。

 

本と遊ぶと言っている以上、少なくとも私には本が必要です。

そして私が必要としている本はあまり読者数が多くはないのではないかと疑っています。

そこで、ブログに取り上げる本はすべて購入したものを対象としています。

購入する理由は2点

第1点、著者に敬意を表して購入します。

購入した本という証に、付箋の張り付いたいかにもアマチュアが撮った写真をブログの最初に載せています。そして今も購入できるかどうか確認したい人のために在庫があるか確認として最後に楽天とアマゾンの宣伝をお借りしています。

第2点、本をノート代わりに使うので付箋を貼ったり書き込みをしたり自分のノートのように活用するための必要経費と考えています。

 

本の購入方法にも二通りあります。

①どこかで仕入れた情報をもとに通販で手に入れる方法。

②本屋に行って本棚をじっと眺めて買う方法です。

目的があって買うのは興味ある事柄の内容を深める、本屋で買うのは広めると勝手に決めています

 

ブログに書く対象の本をどう選ぶかですが、人との関係を扱う本、信頼とかデータを活用して何かの判断材料を提供したり影響を与えたりする書籍に関連するものにアンテナを立てています。

無限の書籍の海に、限りある資金と限りある時間を使っている訳ですが偶然性に任せる事になります。

 

ブログで意識する内容

本の内容を一番理解しているのは出版社だと思いますので、帯の宣伝と表紙裏の紹介文を引用します。

これは、出版社が、この本をどうとらえているかの証明みたいなもので、大切に考えています。

本の内容に関しては、本全体を読み尽すことが著者の考えを自分なりに理解する最良の方法と考えているので、未熟な概略紹介はしません。

只、この本のここに内容が詰まっているとか、ここが議論のキモだと感じる部分を引用し紹介します。

 

気を付けていることがあります。

どんなに立派な本でも、必ず疑問とかいちゃもんとか、読んだ爪痕を残すことを目標にしています。

私の読解力が微力な為に好奇心だけで読み、その後目的をもって読んだ場合、深く読み込んでいないと反省することが多々あります。

再読とあるのは、関心を新たにし深く読みこもうとした本です。

私の書いた内容はともかく、興味そそるという部分では大変面白い本だと自分なりに考えています。

 

重複するところがありますが、全体として気配りしているのは3点です

①価格のついた本を対象とします。

対象とし広い意味で社会科学、具体的には人と人の関係する事を扱ったもので集団知に持ち込むことより深いテーマとなりそうな書籍を選ぶ。

②地域的拘束性、歴史的拘束性の網目がどれ位の縮小率であるのかによって、その本の旬はあると思います。新発売された本が、巨人の方に立っているのであれば場合によっては巨人の肩を確認に行く場合があります。

新しい本にしか新しい参考文献の紹介はできないので、どうしても新しい本を探す事になります。

③対象の本に対して個人的な意見を入れますが、その後、読み返して意見の変更は発展的な「あり」で行きますのでご理解をお願いします

 

上記3項目の背景説明

本を書く側と買って読む側の溝は浅くなっていると考えています。

昔、著者の一方的発表を読者はありがたく受けたまわるしかなかった。

最近、コメント、評価とネットに挙げることができる。

無料の広告、書評やコメントを読んでから購入に結びつける人もいれば、題名と簡単な紹介で飛びつくこともあります。書籍を買わない、読まないという選択もある。

そこで2つの問題、費用対効果・時間の制限

第1に本を購入したという事実。著者はスタッフも含め相当な時間をかけて一冊の本に仕上げるわけですからそれなりの収入を得たいでしょう。「購入者には本を買うと言うこと自体の優先順位」の問題もありますが費用対効果を考えなければなりません。

第2に読むための時間も必要な訳です。

情報は書籍以外でも入手可能な部分が広がっています。

少なくともその2つはクリアしないと著者と読者はつながりません。

以上のことから,著者には昔以上に要求されることが多くなっているのではないかと考えています。

出版社もその2つのハードルを越えていない本を頻繁に出すと出版社として嫌われることになるでしょう。

ある時期、本に飢えた読者がいたとすれば、粗製乱造もありだったかもしれません。

今はどんな時代か、多様な判断があると思います。

どうセグメント化するかを出版社は昔から問われてきました。

「マー俺の話を聞けよ!」くらいのスタンスで、振り向かせたり、聞き耳を立てさせたりするのは難しい。

良くも悪くも、有料も無料も、ノイズを含めて情報は山ほどある世界で金と時間をいただくには相当なレベルが要求されるという事になっているのではないでしょうか。

具体例として著者叱られそうですが引用します。

「個人主義とはなにか著西尾幹二P264」試験問題に著者の文が引用され模範解答について検討しながら「私自身が確信をもって回答できないという事は、私の文章は私の思想として扱われているのではなく、肉をそぎ、血をしぼった論理の骨として死物のように扱われている証拠である。

私の文章は出題者の都合のいい解釈をほどこされたうえで「作者の意図」と切り離して単に謎解きに利用されているのに過ぎないのである」

切り取ったことで著者は不満だろうし、曲解されれば爆発寸前だろうと思います。

しかし、著作物を死物のように扱うのは問題なのでしょうか?

肉を削ぎ、血をしぼった論理の骨を出題者は導き出している。つまり、西尾幹二という人が創り出した思想が次の世代に引き継がれ、試験として第三世代に活用されている。

その変化を見せてくれ、著者と読者の立場の違いを示しているのがこの本の第四部で書かれた問題提起だったのではないかと感じている訳です。

著者の考えを100%お題目のように理解し承れと要求できるものでしょうか?

本を読むという事は著者の問題意識に共感し引き継ぐことであって著者の出した答えと違っていることもある。

議論したいところはその先にあって、ネットが普及する前は、本と向き合う読者は100%受け手でありほとんどの人は孤立していました。

それが、自分の意見や、感想や、愚にもかない曲論を発表する機会を、ネットを通じて勝手に出来るようになりました。

前向きに考えれば、本の購入者が発言することで著者の発表した説や、論や、意見をいろんな意味で検証する事になってきたと考えています。そうすることで理解や議論が深まると考えています。

 

出版した側は、出版したら即、批判と引用とブームを巻き起こし、著者のテーマに奥行きと広がりを与えてくれる対象になってゆく可能性を持つ権利を得たのだと思います。

それが先行者利得であって、著者の権利は本の代金をもらっている事、批判に対する反論で再度出版するテーマを見つけられるかもしれない事、応援者を集めたセミナーを開くこと等いろいろ企画できるのではないかと考えています。

出来れば多角化をはかって欲しい。

著者の成果物としての一冊の本を大切にし、広めることを大事にしてほしいと願っています。

 

にほんブログ村 本ブログへ

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

にほんブログ村