知の樽を構成する板と箍
社会科学もこんな形で学際を支えているのではないか?
上記イラストの力をお借りする。
経済学の位置として「良き社会のための経済学:著ジャン・ティロールP144」から引用させていただく
経済学は他の社会科学も視野におさめ、その知見を取り込むようになった。
これは実にまともな姿勢である。
いくらかの挑発的な言い方をすれば、文化人類学、法学、経済学、哲学、心理学、政治学、社会学は、たった一つの学問分野を形成しているに過ぎない。
何故なら、これらの学問はみな同じ対象を、すなわち人間、集団、社会を扱っているからだ。
最近データ社会学という分野があったり、心理学の近くに生物学が居たりすることがある。
樽を構成する一つ一つ板は、学問のそれぞれのジャンルで、枠組みを作ることで一枚一枚の密度を増す。
密度が増すと言うという事はその学問が深化し成長している事になる。
植物の生長速度や収量は、必要とされる栄養素のうち、与えられた量のもっとも少ないものにのみ影響されるとされているが
学問の場合一番高い板が全体を引っ張り上げるように思われる。
そのようにして社会科学は学際をうまく活用してスピードを上げている。。
質問
○○学という板毎にフレームを作り深堀しながら隣のオタとの組み合わせを強くすることで樽ができる。
板同士の連携で学際を埋めることができる。
では樽の箍にあたる学問はないのか?
それがリベラルアーツというのならこれこそ生涯学習ではないのかと考えたりする。
人は信じたいモノを信じ見たいモノをみる。それが大きな樽に入れた地であれば学ぶ者としても箍を目指すのも一つの考えではないか?
ここで研究者は一枚の板をどう高くするかを考えているのだろう。
箍をどうとらえるのか?
箍はあまりにも網羅的で全体としてどれ位の高さなのか?
そのメジャーがあれば便利だ!
ここには集団の力が必要ではないか。
