東京美術骨董繁盛記(著:奥本大三郎)を再読する

2月東博で顔真卿展をやっていたので見にいったら大変混んでいて、こんな時にはと準備していた東京美術骨董繁盛記を行列の中で読み始めた本です。

本に帯はない。

表紙裏の紹介

東京古美術繁盛記

世の中には、古美術商、骨董商、道具屋という商売がある。

覗いてみるのが少し怖いこれらの店の中には、いったい何が潜んでいるのだろうか…。

東京の名だたる美術骨董商をめぐること十八軒、店の来歴、往年の名蒐集家の逸事を聞き、数ある名品を実際に手に取りながら、読者とともに、時に人と金とが陰と日なたとを行き来し、時に今は見る影もなくなってしまった「教養」が支配する、一種独特の美の世界へと旅をする。

とある。

東京国立博物館で展示される国宝を所有したいと考える人は少ないないだろうが、見物人は多い。

特に、外国語を話す声があちらからもこちらからも聞こえ、作品を見る熱意からも深い知識がありそうだった

知人の書道家も、日本で見られるなんて…と感激している。

 

「なんでも鑑定団」すそ野を支える蒐集家の頂点を支える骨董商の話は確かに教養です。

骨董を勝手に三ランクに分けると

1.      博物館・美術館に展示されていて入場料を取れるもの。

2.      個人所有だがその価値が評価されて美術館などに貸し出されるレベルのもの

3.      個人所有で未評価のものが含まれる。

となる。

モノの価値には来歴が重要で、かつ昔風に言えば100年経った「モノ」には魂が宿り?などと言われることもあり、歴史に耐えることが求められる。

その物が持つ情報に左右されると言ってよくこの本の案内にあるように教養が支配する世界と言われるのも当然と言えば当然です。

 

昨今のシェアリングと呼ばれる社会が進むと「モノを持つ」のではなく「モノを使う」ことに重点が置かれると言うが、そうなると、日々生活で使うモノの評価が違ってくるので作るほうも使用価値に重点を置くだろう。

例えば車や自転車を所有しても、いつか誰かの使用価値に評価が変わるとすれば、そこでの評価が高いことを想定しての所有となる。

万人向けとなり、個性は出にくくなる。

時代が所有という事に重きを置かずさらに許さなくなるという事は、やがて大きな変化を起こす可能性が有る。

玩具や道具、美術・工芸品は確かに機能日に優れたものが歴史というハードルを乗り越えてゆく事で価値を増す。

しかしこれから作られるものは、最初から所有することに価値を見出す人が作る小さな市場になってしまう。

今なんでも鑑定団で一喜一憂している人たちがモノを持つ楽しみを感じる最後の庶民かもしれない。

伝統を守る職人は、美術館直行の作品つくりに精を出すしかない世界が来るのかもしれない。

 

中断していた本を読み終わって、この本と東博で感じた事。

著者の好奇心と、骨董好きがあふれていて、骨董好きが教養を深めるにはもってこいの本でした。そして加えると

この世で一番価値あることは良くも悪くも「経験」じゃないか?

 

 

当然「疲れた」という経験の方が多いという反省を含めて。

 

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