ソーシャル・キャピタル入門 を再再読する

著稲葉陽二

裏表紙の紹介文

東日本大震災のさい、人々は互いに譲り合い、生前と行動した。自分を犠牲にしてでも弱いものを救った。これは、決して見返りを期待しての行動ではなく、絆や他社への信頼、思いやりの現れであった。

このような絆や互酬性の規範をソーシャル・キャピタル(社会関係性資本)という。

ふだんは目に見えない、しかし教育や健康等に大切な役割をはたしている社会関係資本をどう育み、活かすのか、第一人者が理論と実践を紹介する。

 

今回この本を取り上げたのは宮城県石巻市大川小学校の跡地を見学し、語り部の話を聞く機会があったので選びました。

バスでの往復なのでその時間の有効活用です。

ソーシャル・キャピタルという言葉は一般化していることもあり多くの進展と問題も抱えていると考えています。

個人的な考えですが、ソーシャル・キャピタルと学問的に言われるまでもなく、近所付き合いと助け合いを中心にしており、社会学のごく一部にフォーカスを当てているという認識です。

 

今回参加したツアーは

小さな旅行会社の主催ですが、その会社は今でもボランティアバスを運行して被災地を応援し続けています。

最初のきっかけは、ボランティアで何か手伝うことが出来なくても、訪れてお金を使ってくれる人も被災地への協力だというような広告にあったような気がします。

最初の年は、土産物店にも何もなくて何を買っていいのか、農産物を買っても地元に迷惑が掛からないかと気を使うような状態でした。

また、津波に流された車が何台も田んぼに突き刺さっていました。ぼろぼろになった家に残っているモノは屋根と四方の柱だけで、壁も家具もなく向こう側が丸見えで、家を見ながらバスが進むとき車内はシーンとして皆が息をのんでいました。

8年経って道はきれいになり、街並みも新しくなり、住人は8歳年を取りました。

 

さて大川小学校です。

今回のカタリベは現職の教員と当時のPTA役員です。

カタリベの話です。

教員の引率に問題があり教員も学童も沢山亡くなりました。

今回意識して教員としています。とても師を名乗ることはできないでしょう。

と言うのも、ある先生が「津波が来るので山に逃げるように」と近くの6年生にと指示したのですが、教頭が「勝手なことをするのではない」と逃げかけた6年生を呼び戻し犠牲者を増やしたことを聞かされたからです。

結果として、引率した教員の問題というより、避難するマニュアルがなかったとのことで行政に責任がないと裁判沙汰になったことはご承知のとおりです。

亡くなった父兄の悲しみは増す事になりました。

避難マニュアルがなかったから行政の責任はないと裁判に持ち込むしかなかった事の虚しさはこれからも続くことが予想されます。

その父兄がボランティアで風化しない様カタリベをしています。

これもボランティアです。

 

 

まとめの中の本からの引用(P189~190)

利他的行動を市場に取り込むことは難しいし、しないほうがよい。

ボランティア活動なども含めて、世の中には市場に取り込まないほうが良いことがたくさんある。

特に教育や医療は、本来利他的な側面を持っており、それをすべて市場に取り込むことはできないし、もしそうしようとすれば外部経済ではなく、外部不経済が生まれる。云々

つまり「きずな」の重視を標榜するという事は、格差に伴う不平等を是正するといことだ。特に、教育、医療に関してはやはり政府の責任で不平等を是正する。そのためには富裕層にそれなりの負担をしてもらう。

今までの個人の所得は累進課税率緩和一本やりであったが、「きずな」を重視するという政策は、結局のところ、個人所得の累進税率の見直しを含めた富裕層の負担率を求める格差是正、つまり所得再分配の見直しを意味しているのではないだろうか。

 

これではまとめとして不足の部分がありすぎてすとんと心に落ちないところがある。

例えばボランティアにも多面的なところがある。

1.      ボランティアをどうとらえるのかいつでも参加できて、無給で、善意で、人数を頼りに作業をする人?

2.      仕事とスキルを持っていて、休みの時に無給で参加する人?

3.      現場の需要によって旅費と食事提供でスキルを提供できる人?

4.      公務員の出張としてスキルを提供する人?

5.      原価でバスを提供するバス会社は?

簡単に思いつくだけでもこれくらいの個性はある。

最初はとにかく人手が欲しいだろうが、すぐにスキルを持った人の適正数が継続して必要になる。

 

この本はまとめのところで国の税制問題や不平等問題に大きく依存する。

「きずな」を重視するにしては問題の拡散を起こしてしまい、突っ込まれる部分が盛沢山ではないかと危惧する次第です。

例えば教育、医療では教師や医師に求めるのはボランティア精神ではなく、現代に合った知の伝達を上手くできるという高度なスキルを持った教員であったり最新治療をこなす医療従事者であったりする人材を、労働市場から確実に求められるだけの所得補償することが大切なのではないか?

そうした活力のある国創りと、市場の活性化を図る必要があるのではないか?

社会的インフラがしっかりしていて、衣食住に困らない社会に生きる時に孤独を求める自由はないのか?

稲葉先生の論で進むと日本全体の貧困化にはならないか?

という疑問にあらかじめ答えておく必要があったと思います。

 

大川小学校の問題については続編を予定しています。

 

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