人間ドックで考える2
人間ドックで考える、の補足です
20年くらいの間、毎年人間ドックに入っています。
転勤もあったので、施設は数か所で受診(?)しています。
昔は他施設のデータを信用していないところというか検査の基準値が違っていたりして、細かいところは整合性が取れません。
最近は施設ごとに検査をするとカネがかかりすぎるとも、不合理だともいわれてはいます。
が、私の慢性疾患を見てくれている開業医の先生も、他の開業医のデータを信用しているように思えません。
それは検査施設が違うので基準か、精度か…要は日頃信用できる検査データに頼っているという事でしょう。
さてドックのデータですが、データというのは母数に対する平均値で正常値を決めており、個性を認めてくれはしませんし、正常値もその時々で変わることもあります。
それに新しい技術が加わると検査データが詳細になったりします。
例えばコレステロール値、昔から比べるとずいぶん詳しくなったり、正常値の変更があったりしました。
でも個人的なデータを毎年積み重ねると人間は動物で毎年コツコツと壊れてゆくというか老化してゆく事がよくわかります。
面識のある学者が「人間ドックなんて意味がない、自覚症状もないのになんで悪いところを知りたいんだ、結果を知って生活パターンを変えるわけでもなし」と言ったのを唖然として聞いていたことがあります。
というのもある大手企業の取締役以上が海外出張に出る場合、関連病院で責任ある地位の意医者の診察を受けるそうです。
定期的に検診は義務図けられているので、ドクターとしては気になるところを重点的に診察するだけで良いらしいです。
その目的は、取締役がそんなに若いわけでもないのに、海外出張はハードで、視察や会議は多忙を極めており、もしスケジュールに穴が開くと会社にとっても、本人にとっても問題が起こる・・・・それを極力避けるためだそうです。
その可能性を極力抑えるのがドクターの仕事で、この仕事にはとても気を使うとドクターは言っていました。
何しろその取締役たちは、そのドクターの診断を信じて全力で仕事をこなして帰ってくるらしいですから。
そうした充実した時を送るための努力のサポートをしている。
そのドクターはこう私に尋ねました。
社会にはストレスもあるし生活も不規則なのに、自分の体の状態を知らないでどうするんだ?
極論を言えば、人は、何時かは死ぬ!
それまでに何をしたいのか、何ができるのか計画を立てたくないのか?
その為には、今の自分がどんな状態なのかできるだけ知っておきたいと言う欲は湧かないのかという問いだった。
今の私は多くの荷を背負っているわけではなく体の現状を知っていることが何かと言えば鏡を見るようなもので、もう少し何か出来そうという希望が湧いたりします。
一年に一回強制的に動物である自分を振り返る機会を持つ。
なるべく自分の身の回りの事は自分でできるようにと消極的になるより、まだこれを始めても大丈夫そうだという可能性を確認するのに役立つと思えます。