人間ドックを独占でお願いできればこんな効率的なことはありませんが、そんなにビッグではありません。
当日予約した多人数の一人として受診する事になります。
そうすると」いかに効率的と言っても待ち時間はあるわけで、何か本を持参する訳です。
当日も慣れた人は多く文庫本持参の人が相当数いました。
こんな時の本の選択には悩むことになります。
のめり込んでしまうと、案内の言葉を聞き逃してしまう可能性があるからです。
だから、細かく分かれた待ち時間があるようなときは、あまりのめり込まず、且つ興味ある対象で、独立したテーマに分かれているような内容の本が最高です。
旅行や移動時も同じで、目的地に着くまでの移動時間、車を運転する以外で飛行機でも電車でもバスでも同じ時間が生まれます。
毎年春になると桜を見にどこかに行きますが、その時に持つ本はここ数年「西行花伝・著辻邦生」です。
読み終わりません。桜には相応しいのですが、読み終わるところまでいかず前年の途中まで読んだところにしおりが挟んであったりします。
なぜいつも中途半端になってしまうかと言うと、この本だけは桜を見に行く旅の途中だけに読む事にすると吉野山奥の院西行庵を見たときに決めたからです。
あんな山奥まで桜の木一色に植えられて、本当に西行の生きた時代なのかと冷めた気持ちもあり「ねがわくば・・・」のページを探すわけです。(p706)
さて今回のドック受診に選んだ本は福岡真一著「生物と無生物のあいだ」です。
日頃の生活の中で自分が生物だと自覚するときは少なく、何の自覚もなく時を過ごしている訳です。
ちょうど10年前に気になったテーマ「野口英世」の事です。
著者の福岡伸一博士の言うとおりロックフェラー大学にある野口英世像であり、「遠き落日」著渡辺淳一の中にあるような野口英世であれば歴史の中にうずもれてゆく権利(?)位あったのではないかと思えます。
10年前は野口英世に失望したというか、英雄に祭り上げられていることに反感のような気持ちがありました。
今回感じたのは野口英世を1000円札の肖像に使うと決めた人は恐ろしい人なのか、単なる無知の人なのか、それも記憶して必要があるのではないかと思えてくるのです。
野口英世をお札の肖像にしてしまうのは、破天荒な生活ぶりでも結婚詐欺師のようでも、確たる医学的成果を上げていない人を、お札にまで祭り上げて多くの人の記憶に残して笑いものにしていいものでしょうか?
そうした選択がどのようにされて、決定したのは誰なのか、選択をした人の名も残すべきです。
何が言いたいか、本を書くことの特権を少数の人が独占していた時代は終わったと言う事です。
誰の言葉を信じて良いか、選択権は各人に委ねられて、信じようとする対象者は無限に広がったと言えるのではないでしょうか。
フェイクニュースに対抗するのは既存のマスコミでしょうか?
マスコミは、マスコミに対する影響力に忖度するとは考えないで、昔の新聞のような影響力を持つ事を是としてゆくのでしょうか?
ウイキペディアが一つの答えを出していると思います。
最初は信頼性が低いとか、偏っているとかいう人もいましたが、三人寄れば文殊の知恵なのか、多くの人の意見はそう間違っていないのか、参加型の記憶の集積があっていいのではないかと考えています。
人を批判したり評価したりするのは難しいことです。
今回、福岡伸一という学者の書いた本を読み返したことでよりはっきりしたのは、この本に書かれているほかの人に対する福岡伸一の人を見る目と価値観に信頼を感じたからです。
複数の人を書くことと、自分が何に対して価値を三井田出しているかシンプルに感じることが出来たからです。
生物学者というか理系というかの人の書いた本を読み返したくなる一冊でした。
誤解のないようにオマケ:著者は分子生物学者なので内容にはウイルスは生物と定義しない、であるとか遺伝子の話でATCGのアミノ酸と2重らせんお話、アミノ酸に重窒素の知に放射性同位元素でラベルし、脂肪には水素の同位体を用い体内での置き換えによる動的平衡などを取り上げている。この辺が、著者が研究者として最前線で活躍していた時の充実している時を切り取った内容と感じま。
ニューヨークで感じた振動(バイブレーション)は今も懐かしく思っていると想像させる。
生物学に興味を持つ思い出がつづられていておぼろげながらもその人の全体像を想像させるエピローグだった。
ポスドクの話に興味がわいています。
ちかいうちに、教わる側から見た教授について考察したいと思います。

