先日大相撲を見に行った。
数時間胡坐をかいている自信がないので、今回も椅子席で観戦する。
テレビで見ていれば解説付きで、見過ごしてもすぐにもう一度と言って見せてくれる。
それでも国技館に見に行くのは、テレビスクリーンの外側の何かを見に行っている。
観客を感じに行く。
観客と一体感を持ちたいとか、生の感動を味わいたいとか、いろんなことを考えてみたが
ようやく自分が何を感じたいのか分かった気がする。
それは、誰にも編集されない「生」を見る、その瞬間を感じることの充実感を味わうために
わざわざ、時間をかけ、金を払い、控えめに言えば少しワクワクしながら観戦する。
椅子であっても、2~3時間も座っていればいくつかの取り組みを見逃したり、この瞬間というのを見過ごすこともある。
力士の名を呼ぶ女性の大きな声にはわくわくするし、人気力士だったり、好取組だったり二対して、思いっきり拍手をしたり、「ウオー」という歓声は普通に生活する街中では味わえない感情が思わずほとばしる。
前の席の人がタブレットで動画をとっていて土俵が見にくくても、いろんな問題が起こってワイドショウのネタになっても、あの数秒、数十秒の取り組みは、忘れたころにイヤ少し経つとあの空気を吸いに行きたくなる。
昨日はついに稀勢の里に土がついた。ここからが勝負と応援に力が入る。
国技館で観戦する良いところの一つは、取り組みと取り組みの間に「あーでもないこーでもない」と考えをめぐらす時間を与えてくれることだ。次の取り組みのことでであっても、感傷的に振り返る人生の断片であっても、当然弁当を一口食べる、ビールをぐーッと飲む。この「マ」の取り方が観客を相撲に引き込む一つの訳かもしれない。
何時間かを打ち寄せる波のような繰り返しの場に置きゆったりとすごす。
そして、6時になると皆さっさと帰る。何もなかったかのように