ライブでなければ感じられない感動の中で、
今朝負けたサッカーのわくわく感は起きてから知ったのでは味わえない。
監督も選手もプレーもコメントもよかった。
編集される前の、コメントなしの試合。
それでも解説と、カメラマンの主観が入っているわけだが・・・・
知への関心は断片的に積み上げて行くものではないと基本的には考えている。
漠然とだがストーリーをもって語り尽くせるものに創り上げる事が大切という意味で。
その準備としての断片をモザイクの一片のように記しておかないと
指の間から滑り落ちてしまう恐れを最近より感じるようになった。
その意味するトコロ
エドワード・W・サイート著:知識人とは何かを読み返す。
知識とは何かに関しては別の機会に掘り下げることにして知識人とはということが
気になる事があって、確認。
p190 訳者が著者の言葉として
知識人の責務とは、亡命者あるいは移民となり、常にアウトサイダーとなって、自ら生きる社会を冷静に見据えることにある
これは、批判精神の維持ということだ。これは何かに全面的に奉仕せず、世俗的に個人として生きることだ。
これは常にマイノリティの側に立つということだ・・・
この説明として付け加えておくと
p135
政府や企業に仕える場合、、モラルの感覚をひとまずわきに置くようにという誘惑の声、またもっぱら専門分野の枠のなかだけで考えるようにし、とにかく意思統一を優さんさせ、懐疑を棚上げにせよという誘惑の声は、あまりにも強力で,それにうちかつのはむずかしい.。
利害関係のない、中立者としての個人の存在は難しい。
ここで大いに気になるのが教育者、研究者は知識人なのか?専門家は違う?
アマチュアでいることの難しさを言うよりも、せめて意識していることが大切なのではないか