本の事を書く.

本に関連したことを生業に生きてきたわけではないので、100%本に関して消費者です。

基本的に本は借りるものではなく、買って読むものだと心に決めてきた。

理由は一つ、自分の欲しい本を供給してほしいと願うからで、押し付けられるものではない

値段は高いとも思うが、読める量も決まっていて、一定金額以上にはならない。

と見えを切るより、ほとんどの本はマーカーで塗り、鉛筆で書きこんだりしているので

借りるわけにはいかないのが理由。

付箋がたくさん這ってあって、色もついている本は自分のものになっている。

だから次に読むとしても、どんなところに意味を感じたのかわかるし、

集中していなかったり、眠かったところもわかる。

 

なぜ本の事を書くかと言えば、自分に対する記録で他に理由はないがパソコンがあるので

スキルアップにための手段といったところ。

 

松岡正剛所長の本を取り上げたのは、本を世にも時たま羅針盤が必要で、

活用させてもらっているから。

自分のその時のテーマに集中している時、ふっと目線を拡げたいときに活用する。

 

本の事を書く時の自分のルール。

書評という大それたことや、概略をまとめるような事の出来る器ではないので

その本の中で、最も感動した、目からうろこの部分を題名、著者名とともに残す。

最高でも3か所以内とする事を心掛ける。

 

松岡正剛・佐藤優 <読む力>中公新書クラレ

p123-124 1990年代の日本は社会学インフレが起こっていたんですかね。当時多くの社会学者たちが、立場表明を異常に嫌がる相対主義者だったように見えて、それも違和感があった。・・・・・個人的感:想時が過ぎ水膨れ状態が正常になるのかも

 

P205 知的生産力を失った知識人は慈氏を選ぶべきだという信念に近いものを感じます。

・・・・・・個人的感想:西部邁さんの自殺の意味が少し理解できた。

 

この2つの抜粋は自分でも本の要点から外れているように思われるが、そうなんだねーという

落ち着くところがある。

この本の羅針盤としての仕事は別にある。