春、父が死んでいた。
父の死を知ったのは父の死後1か月以上経ってからだった。
酒乱、虐待、女遊び。
人付き合いが良くスペシャルイケメンで腕の良い寿司職人で、
妙なプライドを崩せない、空気を壊すことを恐れる、ある種の情け深さを持つ、
そんな複雑な男だった父は
知人たちとのちょっとした賭け事や酒の付き合い、言い寄ってくる女へのちょっかいなどに
流されるのもしばしばだった。
子供でさえ、瞬時のウソだとわかる嘘をつく人だった。
母や,弟子、知人たち大人
集中的に殴られていた1つ違いの弟や、まだ幼かった4つ下の弟は耳を傾けなかった嘘に
信じ切っている芝居をしながら相槌を打つのが長女としての私だった。
真っすぐに私だけ見つめながら尊敬を乞う目を、無下にすことはできなかった。
そんな父がある夜、唐突に
トウル、お父さんは英語で歌が歌えるんぞ
と言った。
私の返事を聞くことなく歌いだした。
Somewhere over the rainbow
Way up high
There’s a land that I heard of
Once in a lullaby・・・
父の目はうるんでいた。
ちゃんと英語で歌っていた。
芝居をしなくてもよい、お父さんのすごいところを見せてもらえたのに
私はいつものように見つめ続けることができなかった。
この曲を聴くと、慕われる人柄と優れた容姿と職人としての腕前を持ちながら、
その弱さとプライドゆえに酒におぼれsべ手を失った父を思い出す。
2度と巻き返せない、家族5人の頃に激しく流れ去った時の重なりを思い出す。
すべての孤独と悲しみと病魔の痛みを脱ぎ捨てて、
父は虹を越えただろうか。
今日は、時の、記念日。