私の場合、JWは、悪ではない、と、思います。
JWは、この世のものでないとしたらですが。
では、罪はどこにあるのでしょう。
その悪いほうの原因を⇒この世
いいほうの原因を⇒WT
に整理されたのだともいます。
しかし、よく見てください。
私、WTと書きました。いいほうをWTでいいのでしょうか?
WTも人間なら、この世に含まれてはいませんか。
WTも、サタンの支配を受けているのではありませんか?
そいいほうの原因を、4文字のテトラグラマトンに置き換えれば、
それをどう発音するかで、呼び名は変わってきますが、
それで、いいのではないですか?
絶対の正が、唯一のもので、創造者の中だけなら、神とWTが同時に入ることは、ないのでは?
いや、私もこの世の人間なのです。だからこそ、罪があるのだと思います。
誰に支配されているかではない、私は、私の中に罪がある、そう書いてあると思います。
もちろん、罪は救い主以外によって救われることはないです。「行い」があるとするなら
それは、神の救い、救い主の救い これが1つだけ存在し、一致していなければならないと
書いてあると思いませんか?
罪は、救い主の絶対的な赦しなく、自分の、人間の行いによって、その罪は、軽くなったり、なくなったり、楽になったりするのでしょうか?
私は、自分の侵した罪は、私の手では償えなかったです。たとえ、何をしても。
人によって、赦されることのないのが、罪ではないでしょうか。もちろん、キリストを救い主として、唯一の神と同格に信じる中においてですが。
罪や悪が世の中にあって、近づかず、WTの言う便りを元に、指導者、お手本を見習えば、罪が償われるチャンスをいただけるのでしょうか?
私は、人対人ならば、その罪は、背負って行かなければならないと考えます。決して、人は単独で赦すことのできない
そういう存在だと思うのですが、いかがですか?
イエスの愛、それも、絶対性の存在としての愛でなければ、救いはないも似ていませんか?