アメリカから帰って直ぐ、そう、37年~38年前の事になるでしょうか。
約11ヶ月間、東京で働いていました。
ビックリしたこと、そして、面食らったのでことが多々あったので、久しぶりに回考してみたいと思います。
職場が虎ノ門にあり、世田谷区立桜木町に住んでいました。
まず通勤列車の人混みの多さ、半端ではありません。当時は、私鉄銀座線や中央線等、乗車時、駅員さんが最後の人の背中を押して乗せていたものです。私が最前列のラインに並び一番最初でした。中に入って、さあてどこに座ろうかと思案していたところ、あっという間の出来事です。もうすでに空席がありません。正に、唖然、田舎人であることをまざまざと痛感させられた次第です。
それに駅に向かうまでの徒歩、その速度のはやいこと、私の歩幅が小さいのは言うに及ばずですが、私の一歩は、他の人の半分に過ぎず、かつ、ただひたすら早く歩を進めます。もう10歩歩けば、遠くに人の背中が見えるようでした。
職場の社長は、よく衆議院及び秘書との打ち合わせで、帝国ホテルで、コーヒー飲んで打ち合わせしていたので、時に、私もおこぼれに預かりました。その係員の動作は正に完璧、見事なものです。これが、今で言う、お。も。て。な。し。なのでしょう。
時には、女性社員が、その議員との打ち合わせを料亭を利用していたこともあります。別に深い意味はありません。(笑)
帰りに、新橋で、一杯飲むのが至福の時でした。あの立って飲むのも、風情と趣があったものです。
競馬で、有馬記念の連勝複式で何万円?か、勝ったのを覚えています。その府中の競馬場のパドックを初めて見たときの、そのサラブレットの美しいこと、えもいわれぬ、、とはこの事だったのを覚えております。
いい思い出だけではないのですが、ここでは悪い思いでは忘れます。
こんな私は、東京には住めませんが、その東京が武漢ウイルスで、都市封鎖を強いられています。赤日新聞は、いつも嘘を垂れ流します。写真一つをとっても、多くの人が、出掛けて自嘲してない。。という事にしています。(アングルを駆使して、)、本当は、人は、まばらな状態であるのに。
無かった慰安婦問題を持ち出し、沖縄の綺麗な珊瑚にKYと落書きする。やがては消滅する新聞なのでしょうが、早くその時期が到来するのを、首を長くして待っています。
一部の人はそうでしょうが、大多数の東京の人、日本人は、家で待機、自嘲する。言われても、言われなくとも、率先して、人に迷惑はかけない。こんな素晴らしい国がどこにありましょうや?よその国には絶対ありません。自信を持って言うことができます。
今は、ただ、その終息を望むのみ。