批判と注意・忠告は違う。
批判は、言わせておけばいい。
その先に改善がない限りは。
注意・忠告はよく耳を傾けたほうが良い。
自分の行いを振り返るチャンスである。
常に人は判断をしながら生きている。
人は常に正しい判断をできるわけではない。
また、その判断が正しいかどうかは誰にもわからない。
しかし、人は自分が下した判断が正しいと思うように、解釈を作ろうとする。
根拠という名の言い訳などいくらでも後付けが可能だ。
大抵感情で判断したものをあたかも理性で判断したと思い込むことなんて
後からいくらでもできる。
本質的になぜ自分がそう判断したのか、理解は難しい。
他人もしかり。
注意・忠告は、自分が負の感情を避けようとしたときに
最後の砦として機能を果たす。
思考の根底には無意識の感情が混ざる。
無意識の感情を理解することで、判断の先の結果を受け入れる覚悟が決まる。
そう考えると、物事は実に単純である。
①「(感情)やりたいし、(理性)やらなければならない。」
②「(感情)やりたくないし、(理性)やらなくてよい。」
③「(感情)やりたいが、(理性)やらなくてよい。」
④「(感情)やりたくないが、(理性)やらなければならない。」
①だけが自分の仕事であるとよい。最高のパフォーマンスができるであろう。
②はやらなくて良い。
③は趣味である。やっても良いが、やるときは考えたほうが良い。
④はやると良い。
注意しなければならないのは、②と④は間違いやすい。
先に示したように理性など、感情で捻じ曲げることは可能だ。
とはいえ、感情は流動的なものである。
若いうちに④はたくさん経験しておいた方が良い。
④は、やっているうちに①に転じていくのだから。
他人がやりたがらない、できないと思い込んでいることができる人は、
どこでも役に立つ。
他人は好き勝手言ってくるだろう。
その発言の根底の考えを理解し、
反映するかしないか判断すると良い。
他人の根底の考えを理解することは難しいが、
大抵その他人の行動を良く観察していたらよくわかる。
理性的なようで無意識に感情的に楽な方にだけ逃げる行動を良く取る人の意見は、
大概自分のことしか考えていない。
批判する人ではなく、誰かのために注意・忠告ができる人になりたい。
素直に人を褒められる人になりたい。