追悼三浦春馬さん | たんたんのhumming DAYs

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横須賀での
静かで穏やかな暮らしの中で
徒然なるままに
思った事、感じた事。
素直な心の動きを


おはようございます


昨日は、
そのニュースを
娘からの慌てたLINEで知りました


その直後、
これまた、末っ子君からも
この人、知ってる?と。 



そう、三浦春馬さんのこと



芸能界に疎い
わたしには珍しく
名前と顔が一致する
数少ない若い俳優さんだ


彼の名前を聞くと
キャッチアウェイブを思い出す
他の作品でも、
見たかもしれないが
若い子向けのストーリーなのに、
とても、好きな映画だったから


年甲斐もなく
久々に、、我が子ほどの
子達の日常に触れ

つくづく
自分が10代のころに
観たかったと思ったものだ


それと、
ママ友で、一時期
すごく仲良くしていた方が
子供達が、卒業し
お会いする機会も減っていた頃
たまたま
お会いする機会があり
久々に話をした中で、
彼女の幼くて甘えっ子だった
次男くんが高校生になり
彼女も出来

クラスの仲間に
三浦春馬に似てるって
言われているんだーと
自慢していた。


三浦春馬さんの名前を
聞くとこの2つが
思い出される


そして、30。
わたしの長男と同い年
元気にご活躍の様子
(なはず?芸能に疎いので多分)
それなのに、
突然
自分で未来を断ち切った
その衝撃は
世の中を震わせているであろうけれど

同じ様な年頃の息子を持つ、
芸能人にあまり興味のない
私にも
かなりの
ショックであった


どんな人にも、
闇がある、
影がある
その人生に
当たる光が、強ければ強いほど
出来る影は黒く深い


光が当たらなければ
影は出来ないのだから


息子と同い年、
と、思うと思いはめぐる

死のうと決意したその
彼の心の悲しみ、辛さ。
その瞬間のこと。

そして、その後は
きっと、
彼自身は無になってしまって、
全ての苦しみは
消えてしまったことだろう

後になってしまった
今では
わたしの心を揺るがすのは
彼にも親御さんや
親しかった仲間も、いたであろう
まして人気俳優で
彼に夢中なファンも


それらの多くの人々の哀しみが
辛い。


特に、私自身母親なので
お母様の
その事を知った時の衝撃、
これから先
ご自身が亡くなるまで
背負っていく深い哀しみを

思うと
張り裂けそうである

死とは、
そう言うものである。
死ぬ瞬間まで
その本人の手の中にあり
どんなに踠き苦しんでも
その淵まで


病であれ事故であれ自死であれ
その苦しみや、痛みは
どんなに苦しんでも
淵までなのである。

本人は、そこまで思っていたのか
それでも、だったのか
知る由もないが

淵までは、
淵を越える瞬間までは。


淵を越えた瞬間から
その苦しみや哀しみは
遺された者たちに
バトンタッチされるもの
それが近しい人なら
近しい人ほど、
本人の痛み以上の痛みとなって
受け取った人が
自分のその淵を越える瞬間まで
手放すことは出来ず

さらにその後に続く
望まぬ弔いに、纏わる行事が連なり
その魂を護りたい一心で
死ぬ事も選べないという
そんな未来を
遺してしまうと。


それは
本当に辛いこと。

何があったのか、
それ程の事だったのか
他人の私には、
分からないけれど

実のところ
死を選ぶべきでは無い
どんな状況であっても。
死の淵まで行っても
ギリで戻って欲しかった

死んだ気で
生き直して欲しかった
生きてさえいれば
どうにかなるもの
1人ではない事を
思い出して欲しかった

お母様の為にも、
生きて欲しかったなと





そして、
我が子を思う時、

このブログで書き綴っている通り
わたしの子達は
人様に自慢できる程でもなく
本当に平凡なものであるし
時々、笑えない苦労や心配も
かけられるけど

生きていてくれて
有難いなと
本当に心から
思わずには、いられない



そう言えば
長男が高校生の頃
机の端に
鉛筆で『死にたい』
と落書きしてあったことがあって

え!っと思った私は
一瞬、手にしていた
雑巾で消そうかと思ったが
良く考えたら、
腹が立ち笑



その横に
鉛筆で書いておいた!

『死ぬ気で産んだんだから
死ぬ気で生きろ』





三浦さんのご冥福をお祈りします