取らぬ狸のなんとやら
TVを観ていたら一般人のお金持ちの人が出てた。
(お金持ちってとこで一般ではないのかな?)
125万のワインをあっさり購入してた。
その瞬間私の脳内では「自分なら車買う」に変換された。
自宅を紹介していた時も、たった8個のバッグで約一千万円だった。
その瞬間私の脳内では「家の頭金にする」に変換された。
こんなことを考えているから、お金持ちにはなれないのだと実感した。
お金ってあるとこにはあるんだね。
宝くじが当たったらという買ってもいないのに妄想を膨らます時がある。
まずお互いの両親に新しい家を買う。
その後自分達で家を買う。
両親達を旅行なんぞに連れて行く。
私専用の車を買ってもらう。
↓
大好きなフィガロ。
旦那は好きなのを買うが良い。
そして寄付は忘れない。
買ってもいないのだから妄想するのもお門違い。
でもうちの母はちょっと違う。
ロトを買っているのだが、母にはある一冊のノートがある。
それは「当たったときにするべき行動ノート」だ。
もうね色々書かれてるのだw
どこそこの銀行に行くだの、どこに連絡するだの。
母曰く「その日に焦らなくていいように」とのこと。
ちょっと可愛く思えた。
さて地道にいきますか。
忌々しい
何かと便利な携帯電話。
メールでも気軽に出来る。
でも私は携帯を持っているけれど嫌い。
なんだかいつでも拘束されている気分になる。
メールはまだいいと思う。
すぐに返信する必要も時によってないし。
でも電話の場合、着信履歴があるではないか。
今や誰でも持ち歩いているとされる携帯なので電話をかけたけど折り返しの電話がこないとなるのだ。
それが嫌。
昔は家の電話で留守番電話機能がなかったときにかけると
「留守なのね、またあとでかけよう」となり、こちらとしても電話があったことすら分からない。
携帯の忌々しい着信履歴め。
「あなたに電話をかけましたよ~、折り返し電話してね~」オーラがたまらないのだ。
通話料金を考えていっているのではない。
拘束されている気分になるのだ。
「暇だからかけてみた」というのも苦手。
用件があるときにだけ電話してくれ。
嗚呼、できるなら持ちたくない携帯。



