知人のおじいさんが入院している。
かなりの高齢だが、痴呆はほぼない。
親族の意思で、
退院後はそのまま施設に入れられる。
きょうび、施設への入所には「入所待ち」がある。
だから、おじいさんは入院したまんまでいる。
施設に入れる理由
それは
「一人暮らしはもう無理だから」。
・・・じいさんは
そのことを知らない。
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「家に帰りたい。早く帰りたい。」
と。繰り返し繰り返し言うおじいさん。
「そうだね。帰ろうね」
ごまかす知人の親戚達。
でも
おじいさんはもう二度と住み慣れた土地の
空や
庭や
風や
山と海や
家には、帰れない。
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よく聞く話だ。
「普通に考える」ということならば、それが「真っ当」ということなのだろう。
家族や親戚の気持ちもわからなくもない。
だけれど
おじいさん本人の意思は全く無視されている。
自分の家で
空の下で風に吹かれて
自分のすきな場所ですきなことをして
そうして一人で死んでいてはいけないのだろうか・・・・。
施設に入れる選択が
本当にじいさんを大切にしていることになるのだろうか・・・。
半分くらいは
家族の体裁ではなかろうか・・・。
「(別居でも)家族がいるのに孤独死されてもらっちゃ困る」。
・・・知人の親戚のことを否定する気は
さらさらない。
ただ
自分の環境がとても恵まれているとは感じてしまう。
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そう。
「条例」でもできなければ。
少なくともわたしは
自分の知らない間に、自分の意思ではなく
どこかの施設に入れられることはない。
痴呆になって手に負えなくなっても
自分では覚えていない範疇のことになる。
身内という名の他人様の
「キモチ」や「事情」や「体裁」で、自分の死に際をきめられることはないのだ。
病気や骨折や、困った事態になれば
自分がさんざん不自由をすればいいだけなのだ。
自分の生き方で、諸事情があろうとも、
わたしが「自由」を選択した以上、「後の不自由」はさけられない。
不自由をしたくないのなら、これからでも遅くはないから
干渉しあう生き方を選択するといいだけだ。
自由であれ
不自由であれ
孤独であれ
干渉であれ
どのみち「覚悟」には変わりはないのだから、そう大差はない。
そのこと自体は人それぞれで決めるのがいいだろう。
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ああ良かったあ。
自分の死に際を、自分で決められるんだ。
本当に良かったなあ。
あまりに他人さまに迷惑をかけるのは勘弁なので、
大きな病気がわかったり、
高齢になる前、
歩けるうちに役所で手続きをしてこよう。
あとはリスクも承知で
気ままに生きよう。
わたしは、そうしよう。
こころからそう想った。
< 最後に続きまぁす(*^ー^)ノ >
