ひぃ!命日間違えたぁぁぁあっ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
(ノω・、)ごめん。おばあちゃん。
「今日はおばあちゃんの命日じゃあないっ!!!」
電話口で母に怒られた。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
4年前
私はおばあちゃんに
死に化粧をした。
とっくに80歳をまわっていたから、
周囲はそんなことは
気にもしていなかったんだと思う。
でも、おばあちゃんはとてもお洒落な人だったから
どうしても化粧はしてあげたくて、
私は自分の使っていない口紅をもって行って、
死後硬直をして
冷たくなったおばあちゃんの口元に
そっと赤い口紅をさした。
ものココロついた頃、
私には祖父母と呼べる人が
おばあちゃん1人しかいなかった。
母方の祖母。
大正生まれ。
彼女は女学校を卒業した才女で、教員になった。
同じく教員だったおじいちゃんと結婚して
二人目の子供を授かった頃には
戦況は悪化。
そのまま
樺太で終戦を迎えた。
引き上げ船rに乗るために、
幼児の手を引き、
乳飲み子を背負って船着き場へ向かう。
昼間は山藪に身を潜めて、
日が落ちてから、他の家族の方達と集団で
ただひたすらに必死で歩く。
樺太はもうソ連(ロシア)の支配下だ。
彼女の懐には、
「はずかしめを受けるようなことがあったら、これで子供と自分の命を絶ちなさい。」
おじいちゃんに手渡された短刀が
大事に入れられていた。
数ヶ月間も、山の中を徘徊し、、
やっとの思いで引き上げ船に乗って、
それから
東北のおじいちゃんの実家へと身を寄せた。
私が彼女から戦時中の話を聞いたのは
一度きり。
「焼夷弾が、頭の上をヒューッと飛ぶの。当たっていたらおばあちゃん、ここにいなかったわ。」
ハハハと彼女が笑う。
それは
「後世に伝えなくてはいけない事実」
だったとしても、
実際に経験した彼女にとっては、
多分、
「口にすることで、思い出すコトが辛い過去」
だったのだと思う。
戦後、
校長となったおじいちゃんと共に
各地を転々とした。
そしておじいちゃんが突然他界。
彼女は50の声を聞かないうちに未亡人になった。
それからも彼女は、
教員を退職して、
幼稚園を立ち上げ、園長として働いた。
私はよく彼女の家に泊まりに行った。
朝はまずラジオから音楽が流れる。
朝食は、トーストにバターとイチゴジャム。
ゆで卵。サラダ。
紅茶には角砂糖とコンデンスミルク。
大正生まれとは思えない
ハイカラな朝食。
ゆっくりと食事を味わう。
お花に三味線、
お琴に踊り、
彼女の趣味も多岐に渡っていた。
彼女は、孫を必要以上には可愛がらなかった。
家に来ても、勝手に遊ばせるだけ。
「一線を画す」。
それは孫でも例外ではない。
人間関係の基本をしっかりとわきまえた人だった。
恥ずかしながら私は、
この覚悟ある考え方を、今も会得しきれてはいない。
命あるうちに何とか身に着けたいものだと思っている。
そんな彼女にも、
ただ一つだけ例外はあった。、
彼女の息子(伯父)。
特別大事で、その愛情は執着にも似ていた。
嫁だった伯母は、
それで随分と苦労したようだ。
まるで娘のような人だった。
「スマップみたくかっこいいお兄さんだったから、
おばあちゃんね、コレ買っちゃたの。」
「騙されてるのは知ったうえで買ったの」
と悪戯な顔をしてみせてから、
「お母さんには内緒よ」
とウインクをする。
そして私に商品を見せて、
伺うようにして彼女はウフフと笑う。
私も釣られて笑ってしまう。
可愛らしくて、
本当に娘さんみたいだ。
一軒屋に長いこと
一人きりで住んでいた彼女の
記憶があやふやになってきた。
鍋を焦がしたり、
用事がある日を忘れたりしだした。
アルツハイマーは病気で、
どうにもならない。
初めはヘルパーさんを頼み、
次にグループホーム。
最後に病院へ入った。
帰省すると、必ず彼女いる病院へ行って、
段々と私を忘れていく彼女の
下の世話も、
少しだけやらせてもらえた。
危篤の一報が入ったとき、
私は、とある事情で帰省していた。
自発呼吸が困難で、気道確保される彼女はとても苦しそうだった。
その日のうちに
駆けつけた伯父・伯母と共に
孫の中でただひとり、
私は彼女を看取った。
「この口紅、赤すぎるね。」
彼女の顔を覗き込んだ伯母がそういって立ち去っていった。
ああ、この二人は分かり合える日は来ないんだな。
と思った。
人には「想い」と「事情」があり、
それはいつも交錯するものだから
仕方ないんだと思う。
私は
彼女がなくなってから、
彼女を感じたことがない。
愚痴は言わなかったけれど、
胸にいろんな思いを抱えた彼女は、
きっと今生に未練などなかったんだと思う。
もしも輪廻転生というものがあるのなら、
彼女は
さっさと次の生を受けて、
もう
今の人生の課題をこなしているのだろう。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
「○○ちゃん、親友なんてね、出会えるのは人生に1人か2人。
その人は大切にしなさいね。」
おばあちゃんが教えてくれたこと。
うん。いるよ。1人は見つけられたよ。
おばあちゃんの新しい誕生日を
今度、
夢で教えてほしいな。
好きだったお花を
窓の近くに
飾りたいから。。。
私は無信仰者で、
ウチには
仏壇も神棚もないので、
窓際にそれらしくお供えをしました。
洋菓子も好きだったから、プリンどら焼き。
その他モロモロを☆
○●○●○●○●○●
お年寄りは偉いと私は思います。
困った方も確かに沢山いるけれど、
この世の中を、
生き抜き、
走り抜けてきたのだから。
やっぱり偉いです。
側にお年寄りがいる方、
大事にしてください。
いい話を沢山聞いてください。
そして
あなたの人生も
豊かなものに
なりますように。。。
最後まで読んでくださって
本当にありがとうございます。
祖母の命日に。(間違えたけど。あはは。)
ニヤリ主婦。
(ノω・、)ごめん。おばあちゃん。
「今日はおばあちゃんの命日じゃあないっ!!!」
電話口で母に怒られた。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
4年前
私はおばあちゃんに
死に化粧をした。
とっくに80歳をまわっていたから、
周囲はそんなことは
気にもしていなかったんだと思う。
でも、おばあちゃんはとてもお洒落な人だったから
どうしても化粧はしてあげたくて、
私は自分の使っていない口紅をもって行って、
死後硬直をして
冷たくなったおばあちゃんの口元に
そっと赤い口紅をさした。
ものココロついた頃、
私には祖父母と呼べる人が
おばあちゃん1人しかいなかった。
母方の祖母。
大正生まれ。
彼女は女学校を卒業した才女で、教員になった。
同じく教員だったおじいちゃんと結婚して
二人目の子供を授かった頃には
戦況は悪化。
そのまま
樺太で終戦を迎えた。
引き上げ船rに乗るために、
幼児の手を引き、
乳飲み子を背負って船着き場へ向かう。
昼間は山藪に身を潜めて、
日が落ちてから、他の家族の方達と集団で
ただひたすらに必死で歩く。
樺太はもうソ連(ロシア)の支配下だ。
彼女の懐には、
「はずかしめを受けるようなことがあったら、これで子供と自分の命を絶ちなさい。」
おじいちゃんに手渡された短刀が
大事に入れられていた。
数ヶ月間も、山の中を徘徊し、、
やっとの思いで引き上げ船に乗って、
それから
東北のおじいちゃんの実家へと身を寄せた。
私が彼女から戦時中の話を聞いたのは
一度きり。
「焼夷弾が、頭の上をヒューッと飛ぶの。当たっていたらおばあちゃん、ここにいなかったわ。」
ハハハと彼女が笑う。
それは
「後世に伝えなくてはいけない事実」
だったとしても、
実際に経験した彼女にとっては、
多分、
「口にすることで、思い出すコトが辛い過去」
だったのだと思う。
戦後、
校長となったおじいちゃんと共に
各地を転々とした。
そしておじいちゃんが突然他界。
彼女は50の声を聞かないうちに未亡人になった。
それからも彼女は、
教員を退職して、
幼稚園を立ち上げ、園長として働いた。
私はよく彼女の家に泊まりに行った。
朝はまずラジオから音楽が流れる。
朝食は、トーストにバターとイチゴジャム。
ゆで卵。サラダ。
紅茶には角砂糖とコンデンスミルク。
大正生まれとは思えない
ハイカラな朝食。
ゆっくりと食事を味わう。
お花に三味線、
お琴に踊り、
彼女の趣味も多岐に渡っていた。
彼女は、孫を必要以上には可愛がらなかった。
家に来ても、勝手に遊ばせるだけ。
「一線を画す」。
それは孫でも例外ではない。
人間関係の基本をしっかりとわきまえた人だった。
恥ずかしながら私は、
この覚悟ある考え方を、今も会得しきれてはいない。
命あるうちに何とか身に着けたいものだと思っている。
そんな彼女にも、
ただ一つだけ例外はあった。、
彼女の息子(伯父)。
特別大事で、その愛情は執着にも似ていた。
嫁だった伯母は、
それで随分と苦労したようだ。
まるで娘のような人だった。
「スマップみたくかっこいいお兄さんだったから、
おばあちゃんね、コレ買っちゃたの。」
「騙されてるのは知ったうえで買ったの」
と悪戯な顔をしてみせてから、
「お母さんには内緒よ」
とウインクをする。
そして私に商品を見せて、
伺うようにして彼女はウフフと笑う。
私も釣られて笑ってしまう。
可愛らしくて、
本当に娘さんみたいだ。
一軒屋に長いこと
一人きりで住んでいた彼女の
記憶があやふやになってきた。
鍋を焦がしたり、
用事がある日を忘れたりしだした。
アルツハイマーは病気で、
どうにもならない。
初めはヘルパーさんを頼み、
次にグループホーム。
最後に病院へ入った。
帰省すると、必ず彼女いる病院へ行って、
段々と私を忘れていく彼女の
下の世話も、
少しだけやらせてもらえた。
危篤の一報が入ったとき、
私は、とある事情で帰省していた。
自発呼吸が困難で、気道確保される彼女はとても苦しそうだった。
その日のうちに
駆けつけた伯父・伯母と共に
孫の中でただひとり、
私は彼女を看取った。
「この口紅、赤すぎるね。」
彼女の顔を覗き込んだ伯母がそういって立ち去っていった。
ああ、この二人は分かり合える日は来ないんだな。
と思った。
人には「想い」と「事情」があり、
それはいつも交錯するものだから
仕方ないんだと思う。
私は
彼女がなくなってから、
彼女を感じたことがない。
愚痴は言わなかったけれど、
胸にいろんな思いを抱えた彼女は、
きっと今生に未練などなかったんだと思う。
もしも輪廻転生というものがあるのなら、
彼女は
さっさと次の生を受けて、
もう
今の人生の課題をこなしているのだろう。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
「○○ちゃん、親友なんてね、出会えるのは人生に1人か2人。
その人は大切にしなさいね。」
おばあちゃんが教えてくれたこと。
うん。いるよ。1人は見つけられたよ。
おばあちゃんの新しい誕生日を
今度、
夢で教えてほしいな。
好きだったお花を
窓の近くに
飾りたいから。。。
私は無信仰者で、
ウチには
仏壇も神棚もないので、
窓際にそれらしくお供えをしました。
洋菓子も好きだったから、プリンどら焼き。
その他モロモロを☆
○●○●○●○●○●
お年寄りは偉いと私は思います。
困った方も確かに沢山いるけれど、
この世の中を、
生き抜き、
走り抜けてきたのだから。
やっぱり偉いです。
側にお年寄りがいる方、
大事にしてください。
いい話を沢山聞いてください。
そして
あなたの人生も
豊かなものに
なりますように。。。
最後まで読んでくださって
本当にありがとうございます。
祖母の命日に。(間違えたけど。あはは。)
ニヤリ主婦。