例えばアメリカでトウモロコシを栽培している人たちは、収穫を増やしたいという欲求が常々あるはずです。
 現代社会では収穫量が増えれば金がたくさん儲かるという事もありますが、その昔、すなわち欧米からアメリカ大陸に入植して来た頃は、まずは食べ物の安定確保があったはずです。新しい土地で生きていくために。
 そのために必死で土地を耕して畑の面積を拡大したと思います。やがては品種改良すること、農薬を開発すること、より効率的に畑を耕すための道具を開発すること等々。生きて行くために、死の恐怖から逃れるために、必死の努力をしたと思います。

 品種改良はやがて遺伝子操作にまで発展し、農薬に強いトモロコシができます。生きるために必死の努力を続けた結果として確立された遺伝子操作の技術ですから、誰かが「遺伝子操作は危険だからやめろ」と非難されたとして、簡単にやめられるものではありません。必死の努力で研究に費やした時間と費用は、その人にとってかけがえのない物です。

 日本の捕鯨も同じです。食べるために、捕鯨の技術は発展して来たのです。鯨は哺乳類で、頭が良いから食べたら可哀相だ、なんて理由で止めるわけにはいかないのです。可愛い牛さんも哺乳類ですからね。

 例えばアメリカでは銃の所持は合法ですが、それ故、銃による凄惨な事件がたびたび起こります。
そのたび世論は「銃を規制しろ!」と言いますが、規制できません。何故なら銃を作る事や売る事を職業としている人が大勢いるからです。

 日本の捕鯨も同じです。クジラを捕る事、売る事、料理する事、それぞれに職業があるのです。クジラがダメならマグロでも捕ればいいんじゃないの?なんて、簡単にはいきません。そんな簡単に仕事を変える事はできないし、簡単に変えたとしたら今までマグロを捕る仕事をしてる人にしてみれば迷惑な話です。