1898年に制定された現在の民法では、遺産は、正規に結婚した配偶者が半分を相続し、残りの半分を子供が均等に相続する、と決まっているそうです。正式に結婚していない相手との間に子供がいた場合、その相手は相続できなくて、その子供は正式な子の半分だけ相続できるそうです。
 民法は戦後1947年に改正されましたが、遺産相続に関する取り決めは引き継がれました。その後も国会等で議論されましたが、改正されずに現在に至ります。
 要は「正式な結婚相手は一人だけ」と決まっていますが、生まれた子供は親が正式な結婚相手ではなかったとしても、認知されれば正式な子供として認められますが、遺産相続に関しては半分だけだということです。
 この法律が「差別」だと、憲法違反だと、最高裁判決が出たそうです。今回の最高裁の判決を元に、正式な子供には権利を平等に与える方向で民法を改正する検討が活発になるようです。

 しかし、これは本当に「差別」なのでしょうか。

 民法=法律=ルールは、第一に「公平であること」が重要です。「差別」はあってはなりません。が、ルールですから「区別」は必ずあります。これは「差別」なのか「区別」なのか。

 親がどうかということは生まれる前から決まっているので、自分の努力ではどうにもならないことです。この「自分の努力でどうにもならない」という言い回しからは「差別」という言葉を連想しますが、実は自分の努力でどうにもならないことは世の中いくらでもあります。

 そもそも日本に生まれたことは自分の努力によるものではありません。しかし日本に生まれて日本国籍を持つ者と、日本国籍を持たない者は、日本では明確に「区別」されています。これは「差別」ではなく「区別」です。
 ルーピー鳩山氏は宇宙スケールで考えているから、これも「差別」だと言ってますが、一般的な地球スケールの考え方では「区別」です。
 
 例えば「どこ地区で生まれた」という理由で排除されるのは「差別」です。差別はいけません。
 例えば「どんな宗教を信じている」という理由で排除されるのは、信教の自由を侵害していることになるいので「違憲」になります。
 では「親が正式に結婚していないから。」という理由で遺産相続の割合が変わるのは「差別」や「違憲」に該当するのでしょうか。

 そもそも「法律上正式な夫婦でない相手と子供を作る」という行為は、努力ではどうにもならなかったのでしょうか。例えば「子供を作らない」という努力はできなかったのでしょうか。
 もちろん「子供が欲しい」という欲求は正当なものですから、その思いを叶えるのは当事者の自由です。相手と結婚できない障害があるのなら、その障害を取り除く努力はできなかったのでしょうか。
 あるいは、正式に結婚した上で得られるメリットとデメリットを比較検討した結果、分かった上で事実婚を選択することもあるでしょう。
 いずれの場合も、それが法律上どういう意味を持つのか、最初から分かっているはずです。何か問題が発生しても当事者の努力で解決するべきだと思います。

 遺産相続の問題であれば、詳しくは知りませんが、事前に遺言状を作成しておけば解決できるのではないでしょうか。死んだ人の遺産を誰がもらうかは、死んだ本人が決めることだと思います。残された者が我も我もと権利を主張するのに、婚内氏も婚外子も関係ないですよね。
 もし死んだ人が決めないまま死んでしまったら、法律という社会のルールに基づいて誰がもらうか決めれば良いと思います。そこで何が問題や論争が起こったら、それも裁判という社会のルールに基づいて解決すれば良いと思います。

 裁判の中で法律を憲法に照らし合わせて改正の是非を検討することはあると思います。もし既存の法律に「不公平」や「差別」があるのなら改めるべきです。
 しかし、既存の法律で「区別」された一部の人が「心情的に可哀相だから」と言う理由で法律を変えるのは間違えていると思います。

 遺産相続で「婚外子だから相続の割合が半分」という違いは「差別」ではなく「区別」です。この違いを「可哀相」だからと法律を変えて同じにしたら、今度は「婚内子が可哀相」なことになるかもしれません。故人の介護は何もしなかったのに死んだとたんに現れて遺産を要求できるとしたら結内子が可哀相です。
 心情的に「可哀相」という理由で法律を改正したら、今度は別の人が「可哀相」になって、その「可哀相」をなくすためにまた法律を変えて、と考え始めたらキリがありません。
 なので、法律の改正を検討する時に「可哀相」を持ち込むべきではありません。万人がハッピーになる万能な法律はないのです。

 結婚は法律に則った契約です。社会の中では非常に重いものです。ですから、法律に基づいて結婚した者と、法律に基づいていない者は、明確に「区別」しないといけません。この両者を区別せず同じ扱いにするのなら、法律の存在意義がありません。誰も法律を守らなくなります。
 結婚という制度の存在価値が軽くなり、やがて重婚も認めざるを得なくなるでしょう。

 可哀相だからと民法を改正するのも場合によっては悪くはないかもしれません。でもこれは日本の法律の根底を覆す大問題に発展する可能性があるので、するなら慎重にお願いしますよ。