住宅街や小中学校に隣接している沖縄県宜野湾市の普天間基地は「世界で一番危険な基地」と言われているそうな。

 沖縄県の普天間基地は、第二次世界大戦中にできました。アメリカは沖縄を占領した直後、本土を攻略するための足掛かりとして使う飛行場の建設を始めたのです。
 次の写真は、基地が出来た当時の写真です。

普天間基地 1945

 ちょっと分かりにくいですが、周りはサトウキビ畑です。おそらくサトウキビ畑を潰して基地を作ったのでしょう。沖縄の人たちにしてみれば、島の主力産業であるサトウキビ畑(の一部)を占領軍に奪われたという怒りと悲しみがあったことは容易に想像できます。
 が、この時点ではサトウキビ畑の中にある巨大な滑走路、子供たちの生命を危険に晒す「世界で一番危険な基地」には見えません。

 で、次の写真は現代(2005年撮影)の普天間基地です。

普天間基地 2005

 周りが住宅街になっています。サトウキビ畑を潰して家を建てたようです。人が住むようになって、そこに住む子供たちが通う学校も建てられました。
 宜野湾市立普天間第二小学校は1969(昭和44)年4月に開校しました。普天間中学校は1960(昭和35)年8月にこの地に移転してきました。

 確かにアメリカは沖縄の土地を奪って「基地」を作りました。だけど作ったのは「普通の基地」で、それを「世界で一番危険な基地」にしたのは沖縄の人たちです。
 かつて土地を奪われた沖縄の人たちの怒りでしょうか。何としても米軍基地を追い出したかったのかもしれません。気持ちは理解できますが、そのために子供たちの生命を使うのは、どうかと思います。気持ちは理解はできますが、決して同情はできません。

 沖縄の人たちの本当の思いは「最低でも県外」なのかもしれません。普天間から出て行っても辺野古に移るだけなら意味がない、と思っているのかもしれません。
 だけど、この「子供たちの生命を交渉の材料に使う」やり方は、やめて欲しいです。辺野古の住民が基地を受け入れると言っているのだから、早く移転して欲しいと思います。