母への想い | 『のびしろ』しかない~♪☆生きるは修業☆

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認知症の父、2023.12月にホーム入所。
夫とわんこのこと。
多発性筋炎のこと
オストメイトの
わたしの
日々の心を綴ります。

来月、母が亡くなって

3年を迎えます。


毎日、仏壇に手を合わせていますが、泣けてくることは

なくなりました。

時薬でしょうかねー。

でもまだ

仏壇のぼんぼりは消せないでいます。

明るくしていたくて。



「体もつらいし、寒いから、

暖かくなる春までお世話になろう。」

と、 入院することを

あまり重大に考えていなかったんです。

その3年前にも

入院させてもらって、1ヶ月で退院したことがあったので、

そのつもりでした。



だけど、母の心臓は思ったより弱っていたんです。

検査の結果、

心臓の働きを助ける点滴を

外せない状態です。

と言われました。

もう家には帰れないということを告げられて。



泣きました。

暖かくなるまでのつもりが。


その夜は

何も知らず

にっこりする母の顔が

辛くて見れなかった。



入院する前は

わんこといつも一緒に

お気に入りのソファーで

過ごしていました。

ラジオが友達で

仕事から帰ると

ラジオでこんなおもしろい話をしていたよ。と

教えてくれたり。



自分で出来ることは自分でやろうと決めていたようで、

湯たんぽや

ポータブルトイレの後始末は

「わたしがやるよ。」

って言っても、

ゆっくりやるから、いいよ。

って、

わたしにさせたことはありませんでした。



髪を染めてあげていました。

「10才若返ったよ。」って

褒めてあげると

笑っていました。



いつも「ありがとう。」って

言ってくれて、

わたしは

何でもしてあげたかった。

そのつもりで

ヘルパーの資格も取って。



介護はまだまだこれからが本番と

思っていたら、

あっけなく、

1ヶ月で逝ってしまいました。



コロナが流行りはじめ

寝泊まりしてあげられなかった。

個室なんだから

本当はお願いすれば、

できたはずなのに。



わたしと同じで

50代の時に心房中隔欠損症がわかって、

13時間もの大手術をして

82才まで生きてきたこと、

充分頑張りました。

偉いです。



今は天国から

わたしを何度も助けてくれています。



本当に心からありがとう~。



母は

ジーコとは真逆で

口数が少なく、友達が来ても

いつも聞き役でした。

噂話や愚痴を聞いたことがない。

いつも

黙々と仕事をする人でした。



サラッと淡白な性格に思えていました。

実は我慢強く。

一生懸命に横暴な父についてきたのです。



🔶🔸🔶🔸🔶🔸🔶🔸🔶



まさか

その日に逝くなんて

つゆとも知らず。

呆然として。



看護師さんが

お気に入りの服があったら

着せてあげて。と言いましたが、

側を離れて家にとりに行くなど考えられず、病衣のまま。



病院の玄関から入院したのに

帰りは

誰もいない

暗い裏側からひっそりと

運び出されて

つらさがものすごかった。



母と父とわたしと3人で

葬儀屋さんのバスに乗りこんで。



家に着くまで

嗚咽がもれて、

涙が溢れ続けました。



後悔ばかりだけれど、

母はやっと

体の不調から解放されて

神さまの元へ旅だったのだ。

そう思うと

本当に今までよく頑張ってきたねって。

悲しいけれど、

これで自由に何でも食べて、

眩しくないし、

息も思い切り吸って

飛び跳ねられるねって。



母の顔は

ものすごく

穏やかで笑っていました。



ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。


やっぱりまた

泣けてきちゃった。





今日も良い日になりますように。