「認知症の母と、脳科学者の娘」 | 『のびしろ』しかない~♪☆生きるは修業☆

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認知症の父、2023.12月にホーム入所。
夫とわんこのこと。
多発性筋炎のこと
オストメイトの
わたしの
日々の心を綴ります。

番組を観て

わたしの母を想いました。

今年の3月で亡くなって3年です。


無駄口はせずただ黙々と

働く母でした。

50代半ばで

町の健診で不整脈があり、

検査したら、

生まれつきの穴が開いていることが

わかり、

元気なうちに塞い方が良いと

13時間もかけた大手術をしました。


それからは

病院通いはわたしが付き添いました。



かなり体も回復してきて

仕事も出来るようになり、

わたしと相棒でした。

とにかく

よく働く母でした。



特に愛情込めて何かという記憶は

ないけれど、

どちらかというと

素っ気ない性格だったけれど、

『ありがとう。』を

言ってくれる母だったので

どんな事でもしてあげたい。

行きたいところに連れて行きたいと思いました。

最後まで

介護する気でいたのに

心臓の働きが弱ってきて

入院すると

1ヶ月で逝ってしまいました。

亡くなるその日まで

まさか死ぬなんて思わなくて

ホントにあっという間でした。

ちょうどコロナが流行りだした頃で

寝泊まりして

側にいてあげることも

出来ずに。

母は最後まで頭はしっかりしている

82才でした。




父は89才。

認知症といっても

年相応で

トイレで粗相することはあっても

着替えや食事は一人で出来ます。

時々、下着は前後ろ逆の時もあり、

問題なのは

注意すると(教えてあげているのに)怒ります。

チャイムが聞こえないので

施設の方々が迎えに着ても

知らぬふり。

教えてあげても急ぐ素振りは全くなくて、マイペースで。



父はいつも怒っている人でした。

外では

穏やかで人当たりが良いと評判な父は

家族には厳しく

優しさなんて見せたことがありません。

いつも自己中心的で

仕事も急に予定を変えます。

わたしが勤めを辞め

家業の仕事をしても

報酬もなければ、

良い言葉ももらったことが

1度も

ありませんでした。


子供の頃から

父に買って貰ったものもありません。

新婚旅行ですら知らんぷりで

お餞別もなしでした。

全く期待してなかったですけど。



そんな父にわたしは何もしてあげる気にはならないのです。

着替えを手伝いたくないし、

歩くのがおぼつかなくなっても

手を貸すのはゴメンです。

食事の介助だってしたくありません。


父の言葉は凶器です。

次はどんな事を言われるんだろうと

嫌悪でいっぱい。

なので

話すらしたくないのです。



母がいたから

わたしは何とか

家に残っていられたのです。

母を失って3年。



父に何かあったときに

すぐ側に居ることだけが

わたしの出来ること。

そう割り切って

暮らしていくしか

わたし自身を守る方法が

ありません。




父は自室で

ベッドの中です。

ショートステイで

良い人を演じて

疲れたのでしょうか。

今でも

手のひらを返したような

態度に

嫌悪感でいっぱいです。



父を施設に入所させることは

時間の問題かもです。

費用の問題と天秤にかけても

わたしたちの

これからを守りたい。



間違っても

『事件』を起こしちゃいけません。

だけど、

父に向かい合うと

現実になりそうで

本当にこわいのですよ。


夫のことはわたしが確実に

止めますけど。

あんな父のために

夫が犯罪者になるなんて

馬鹿らしいもの。


あらまぁ、

話が物騒な方に。。。



考えすぎるとネガティブになってしまいます。



決して、

諦めのなげやりではなくて、

やるだけやって

どうしようもないとき

『なるようになるしかならないさ。』

って思うしかありません。






頑張っているあなたが

しあわせに向かいますように。

穏やかに過ごせますように。