それは浜崎あゆみのSeasonsだった。
信じたいのに諦めたり
今日の悲しみをいつか笑いたくて
それはそれは多感な時代の代弁者だった。
言葉にならない心のモヤモヤを
的確に表現してくれたのは彼女だった。
今も時々しんどくなると聞きたくなる。
人を全力で好きになりたいのに怖くて
うっかり全力で好きになってしまっても
やっぱり怖くって。
当時、本当に沢山の人に
もっと楽になっていいんだよって
そんな頑張らなくていいんだよって
言われてたのに気づけなかったんだよね。
でも不思議と当時関わった人たちは
今も数ヶ月前のことのように思い出せる。
少しだけ大人になってから
当時を思い返すと
私って、本当に一生懸命に生きてたんだなって
全力で生きてるって実感が欲しくて
生きてるって刺激が欲しくて
躓きながらも生を味わいたくて
体当たりでドタバタしてたなーと思える。
そう想うと、眩しくてキラキラする。
あの時抱えきれずにいた荒ぶる想いを
言葉に出来なかったからこそ
言語化してくれた彼女の歌に
自分の想いを重ねて味わうことができた。
言葉にできるだけの経験を経て
今改めて彼女の曲を聴くと
それはそれはあらゆることが想い出されて
心に取り残されていた色んなモヤモヤが
すーっと溶けていく。
あぁ、この言葉をあの言葉を
当時はあんな風にしか解釈できなかったなー
今ならこんなふうに思えるから
こういうことだったのかなーと新たな解釈を付け加えることができる。
当時はこんな風にしか思えなかったけど
今振り返ったらこういうことだったのかもしれないなー
なんて思えてある意味新鮮。
当時それを言語化できた彼女は
本当にすごいと思う。
そして、暖簾に腕押しの当時の私に
幸せってこういうことだよ
愛ってこういうことだよって
好きなことして笑ってる自分を大切にしなよって
無理強いすることもなく
さらりと伝えてくれていた彼らが
俺が伝えたいだけだからいいんだよって言ってくれたことに
今改めて感謝したい。
やたら仕事できる人だったんだよな…
今も思い出せるってことは
当時から心が掴み取りたい、心が欲しがる
感覚だったのかもしれないとも思う。
彼らが撒いてくれた種が
本当の意味で今芽吹いてきたのかなー
なんて気がしている。