大会名の無法松は、『富島松五郎伝』という岩下俊作の小説からきています。
映画 『無法松の一生』
原作『富島松五郎伝』は、福岡県小倉(現在の北九州市)を舞台に、
荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先に急病死した
陸軍大尉・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流を描いた作品です。
1943年(昭和18年)に『無法松の一生』の題名で最初の映画化がされました。
■映画のあらすじ
明治30年、小倉に無法松と呼ばれ喧嘩っ早いことで評判の人力俥夫・松五郎がいた。
松五郎は堀に落ちてけがをした少年・敏雄を助け、これが縁で松五郎は吉岡家に
出入りするようになった。しかし、吉岡大尉は雨天の演習で風邪を引き急死した。
夫人のよし子は、敏雄が気の弱いことを心配して松五郎を頼りにする。
松五郎は夫人と敏雄に献身的に尽くしていった。
その後敏雄は五高に入学し、松五郎とは疎遠になっていった。
小倉祇園太鼓の日、夏休みのため敏雄が五高の先生を連れてきて帰省した。
本場の祇園太鼓を聞きたがっていた先生の案内役をしていた松五郎は、
山車に乗って撥を取り太鼓を打つ。流れ打ち、勇み駒、暴れ打ち。
長い間聞くことのできなかった本場の祇園太鼓を叩き、町中にその音が響いた。
(* ・∀・)o/o/ |:::::::| ドドン
それから数日後、松五郎は吉岡家を訪ね、夫人に対する思慕を、、、
(/_<) ナケルネェ
■祇園太鼓
劇中の祇園太鼓の「暴れ打ち」は、映画監督・稲垣の依頼を受けた
太鼓打ちの田中伝次が創作したもので、本当の祇園太鼓とは違うものです。
この「暴れ打ち」は、太鼓の裏でリズムをとり表でメロディを打つ「裏打ち」のリズムを早くして
表打ちのリズムを速めていくというもので、
この映画の影響で各地でいろいろな太鼓が生まれたといいます。
(´・∀・`)ヘー
小倉祇園太鼓
■祇園祭の起こり
旧暦六月に行われてきた祇園祭は、小倉城を築城した細川忠興公が無病息災を祈るとともに、
城下町繁栄策のひとつとして、元和3年(1617年)に祇園社(現在の八坂神社)を建て、
京都の祇園祭を小倉の地に取り入れたものです。
絵:小倉城
■太鼓の打ち方
全国的にも珍しい両面打ちが特徴で、巡行する山車の前後に据えた太鼓を歩きながら打つ。
「じゃんがら」と呼ばれるスリ鉦でリズムをとり、「カン」と呼ばれる派手な打ち手と
「ドロ」と呼ばれる基本の打ち手で太鼓の両面を鳴らす。
■お囃子
小倉祇園太鼓は、山車を引く際に引き手が太鼓の音色に合わせお囃子を歌います。
太鼓とお囃子で街を練り歩く光景も、小倉祇園に見られる特徴です。
小倉名物太鼓の祇園 太鼓打ち出せ元気出せ ア、ヤッサヤレヤレヤレ
小倉祇園さんはお城の中よ 赤い屋根から太鼓が響く ア、ヤッサヤレヤレヤレ
太鼓打つ音海山越えて 里の子どもも浮かれ出す ア、ヤッサヤレヤレヤレ
笹の提灯太鼓にゆれて 夜は火の海小倉の祇園 ア、ヤッサヤレヤレヤレ
八坂祇園さんに揃うて詣れ 揃い浴衣で皆詣れ ア、ヤッサヤレヤレヤレ
ヘ( ̄∇ ̄ ヘ)) ア、ヤッサヤレヤレヤレ
2本の動画を紹介します。
最初はPR動画で、もう1本は見事な「暴れ打ち」の動画です。
作:インターネット放送局 北九州テレビ さん
作:Japanese Culture さん