古文書教室でキリシタン転び証文(棄教)を読んだ。これは神仏に誓ってキリスト教を止めると言う誓文で、下書として長崎の西勝寺に残っていた。現在長崎歴史博物館に展示されている。正保2年(1645)菓子屋の"佐兵衛かしや 九助"が女房と共に転んだ時のもの。

末尾に次の3名の立会人の名前が記されている。彼等は長崎奉行所のキリシタン目明しである。
①南蛮ころび伴天連 中庵: 遠藤周作の沈黙に出てくるポルトガル宣教師フェレイラ。日本名 沢野中庵。1633年、中浦ジュリアンと共に行われた逆さずりの拷問で転ぶ(棄教)。(ジュリアンは殉教)
②日本ころび伴天連了順:後藤了順 1614の大追放でフィリッピンに追放され、同地で司祭に叙階。1618日本に潜入し、逮捕棄教。長崎の富商であり、西洋印刷術の出版元となった後藤宗因の息子。
③日本ころび伴天連 了伯:荒木了伯 セミナリオからローマに留学、同地で司祭に叙階。1615帰国,捕えられて棄教。没年がこの証文の翌年1646。キリスト教に立帰り殉教したと言われている。

そして、誓いの文言。九助夫婦が棄教する,当のキリスト教の神に棄教を誓っているのが面白い。
「少しも、(誓いに)相違御座候わば、ゼウス・・・サンタマリア・・・諸々のアンショヘアト(天使)の御罰を蒙りてゼウスのカラサ(恩寵)絶えはて、シュウタス(ユダ)の如く頼もしを失い(ても)後悔の一念来ささず・・・」と。又ユダの名前も出てくる。裏切り者で有名だったのだろう。

もうひとつ、キリシタン批判。理屈が通っているし鋭い。即ち伴天連(宣教師)は
「伴天連の下知(教え、命令)を背き候ものを・・・インヘルノ(地獄)へ落とし可(べ)く候(そうろう)と教え候。何として、人間が人間をインヘルノ(地獄)へ落とし可く申し候や。かようの事、伴天連も畢竟(ひっきょう)他の国を取る謀らいにて御座候」と。

即ち、伴天連(宣教師)が信徒に、”命令に従え、従わないと地獄に落すぞ”と言うのは、理屈に合わないばかりか、日本を征服する為の深慮遠謀、と言っている。キリスト教及び宣教師を日本征服の先兵と見ている。

こうした文言は当然キリスト教の教義と教会内部に詳しい転び伴天連の作と思われる。以上僕の勝手な解釈。とにかく、これまで読めなかった博物館の文書が読める様になったのが嬉しい。