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2chの不思議

2ちゃんねるの話題です!





先日のエントリーでは、「匿名のコメント欄」が都合良く使われることでアンフェアな空間になると論じたが、この「都合」はユーザー側にとっての話だけではない。サイト側にとっても言えることであり、都合を優先してコンテンツを育てることを怠っているように思えるものが多い。



本稿では、ネット上でコンテンツが使い捨てにされている現状と、これからのコンテンツのあり方について考察したい。 

あるWebサイトがTwitterやFacebookと連動していれば、そこにある情報は拡散・共有しやすく、コメントもしやすい。当然ながら、サイト運営側としてもページビューを上げるためにソーシャルプラグインを導入し、UIを設計する。これ自体はトレンドで、むしろそうでないサイトは時代遅れとさえ言える。



また、従来のような「ストック型」コンテンツよりも、「フロー型」のUGCの方が短い期間で盛り上げる必要があるため、炎上マーケティングを取り入れざるをえず、その一環としてコメント欄を有効活用するのは常套手段となる。言うまでもなく、「匿名」であればこの手段はより活きる。



某サイトで筆者が経験した例に挙げよう。ある匿名の人がひとつめのコメントで記事を小馬鹿にしたものや徹底的に批判した文章を書くと、アジテーションに乗っかった人たちによってその論調がヒートアップする。そうすると、論調から外れた意見を書きにくい空気が出来上がる。



実際に、意見が合わないと読み手同士のやりとりは罵り合いや揚げ足取りに終始することが多い。また、罵詈雑言の類いを書き散らしている人に書き手本人が返信をすると、大抵の場合はトーンダウンするか、無視するかである(匿名だからと開き直って批判が加速することもあるが)。



もちろん、必ずしもこのような状況になるわけではないし、匿名アカウントであっても建設的な意見や反論を寄せる人はいるが、自由かつ公正な意見交換による議論が求められているようには到底思えない。



なぜなら、ほとんどの場合、書き手に不明な点について質問をしたり、事実誤認を具体的に指摘したり、自分の主張を提示しつつ改めて意見を聞くなど、議論をするにあたっての最低限のマナーが守られていないからだ。それが故に、多様な視点、考え方を提供する空間であり、その善し悪しを決めるサイトではないのにもかかわらず、「議論する場」ではなく「評価する場」になってしまっているのである。



炎上しないコメント欄は、馴れ合いのサロンのようでつまらないという見方もあるだろうし、盛り上がりに欠けるかもしれない。コメント欄が荒れるほど記事への注目度やPVが上がるため外せないというのもわかる。ただ、確実にそこにあるコンテンツの価値は貶められる。もっといえば、コンテンツを「使い捨てる」ことになる。



建設的な議論をしようとしない匿名のアカウントが一定数集まり、人を不快にさせる言葉が溢れる2ちゃんねる化した場には、書き手も読み手も進んで近づこうとしないし、結果的にすべての人が書きっ放しになってしまう。書き手にここで何かを書きたい、この人たちと議論したいというモチベーションが湧かなくなればコンテンツの質は上がらないし、サイト側や読み手に書き手を支援し、育てる気がなければ、そこから離れていって当然だろう。多くの人に見られるという以外にメリットのないサイトでは、コンテンツはただ消費されるだけだからだ。



たとえば、アゴラのように灰汁の強い論客陣が思い思いに書いている投稿型サイトも、非常に炎上しやすいと言える。ただ、それでも議論できる場にはなっている。Facebookアカウントで、つまりは実名(一部なりすましもあるが)でコメントするようになっているからだ。



Facebookのアカウントがないと書き込めないから不便、ユーザビリティが低い、コメントのハードルが高く盛り上がらず閉鎖的という見方もあるとは思う。ただ、議論の妨げとなる誹謗中傷、邪推などのノイズは圧倒的に少なく、書き手と読み手の間に対等な関係が保たれる構造になっている。

 

Facebookのアカウントからのコメントは、信頼性が高いだけでなく、その人の専門領域やバックグラウンド(なりすまし含め)が分かるため興味深い。また、記事に対する質問、反論、事実誤認の指摘などの精度も高いため、書き手としては手応えを感じることができ、学びもある。結果的に、そこでさらに別の視点が加えられ、場合によっては加筆・修正を加えたり、シリーズ化することもある。読み手としても、インタラクティブなコメント欄であることを感じられるはずだ。



つまり、実名で書かれた記事へのリアクションとして、ある程度自分の立場を明かした上でコメントをする、それに対し書き手がコメントをする、そしてそれをまた別の人が…というように有機的な空間となる。これは、先日のエントリーのコメント欄を見ていただければ一目瞭然だ。



そろそろまとめに入ろう。結局のところ、ネットだろうがなんだろうが匿名性を隠れ蓑にして人格否定や誹謗中傷が行われるのはおかしい、匿名を選択できるのは当然の権利、サイト運営上必然といった議論にすり替えて開き直ることこそがアンフェアだ、Facebookのアカウントであれば社会性が保たれるため議論の形を取らないノイズは発生しにくい、というごく当たり前の話であり、本来くどくどと書くまでもないことなのだ。



ただ、一見すると自由で公正さがあるシステムが呪いの言葉を呼び込み、逆に抑止力が働き不便で閉鎖的に見えるシステムが、まともな議論を生み出すということが現に起きていて、このことはコンテンツをどう扱うべきかを考えるきっかけを与えてくれる。



まずサイト運営者は、ユーザー参加型のサイトを自由でソーシャルな場などと安易に定義するのではなく、建設的な議論を行える場に必要なものは何か、どういうサイトにするためにコンテンツがあるのか、参加者のモチベーションを高めコンテンツの質を保つにはどうすればいいか、どうやって発信者を増やしていくかなど、グランドデザインを描く必要があるのではないだろうか。



そして参加者は、個人としてそこにどういう立ち位置で関わるか、どのようなマナーが必要かを考えるべきではないだろうか。いずれにせよ、発信者をモチベートし、支援し、共にコンテンツをつくりあげていくという感覚がなく、サイト管理者、書き手、読み手という構造の中で有限のコンテンツを消費するタイプのものは廃れていくだろうと思う。



今やソーシャルメディアは、クラウドファンディングなどにより「寄付/共同購入文化」を浸透させつつあり、「賛同、共感、支援」といった贈与の精神によって人が動き、新しいコンテンツ、サービス、社会貢献活動を生み出している。



これからは、発信者に共感し、支援し、共につくり、収穫し、場合によっては自らも発信者となる、こういうあり方が主流になるだろうと思う。そんな中で「反対、否定、批判」を原動力にして、一時的に爽快感や炎上を生み出す方法を採用し続ければ、必然的にこの流れに逆行することになる。



「匿名のコメント欄」が都合良く使われること、つまりはコンテンツの「使い捨て」は時代遅れなのである。



青木 勇気

@totti81



(青木 勇気)



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「この記事の著作権はアゴラ に帰属します。」




















任天堂が4月19日に発売したニンテンドー3DS専用ゲームソフト『ファイアーエムブレム 覚醒』のダウンロードコンテンツ(以下DLC)が、ネット上で議論の的となっている。



パッケージ版だけではプレイできない追加シナリオや追加マップのダウンロード販売は一般的になりつつあるが、任天堂としては『ファイアーエンブレム 覚醒』が初めての試み。まず、パッケージ版発売と同時に追加シナリオ1本を300円で販売(5月31日まで期間限定で無料)し、4月26日からは2本の追加シナリオをそれぞれ250円と350円で販売する予定だ。



任天堂のDLC販売開始のニュースを朝日新聞が「任天堂、『ネット課金』開始 赤字目前で方針転換」との見出しで報じると、この記事をもとに2ちゃんねるのニュース速報+板には「【企業】 任天堂も、ついに「ネット課金」開始…赤字目前で方針転換」というスレッドが立てられ、DLC販売についての議論が勃発した。以下は、ネット住民たちの意見だ。



「アイテムを購入とかでなければ問題無いだろ。

パッケージ購入から、ネット配信になっただけ。

時代の流れだよ」

「ガチャじゃなきゃいいわ」

「ストーリーの追加だけですんだらいいが

課金の旨味を覚えてアイテムとかも課金にしたらヤバいな」



一般的に「ネット課金」というと、オンラインRPGなどをプレイするための利用料や、ソーシャルゲームでのアイテムやガチャ(どのアイテムが獲得できるかわからない抽選)への課金を指すケースが多く、追加シナリオなどの「DLC販売」とは少々ニュアンスが違ってくる。この場合の「ネット課金」とは、料金を支払わなければプレイできない形態や、ゲームを有利に進めるためには特定のアイテムを購入しなければならないシステムのことであり、「課金して初めてゲームが完全版になる」という意味合いが含まれている。一方の「DLC販売」というのは、あくまでも追加要素として捉えられており、それを買わなくてもパッケージ版でゲームの本編が完結するというものだといえる。



記事の見出しには「ネット課金」との言葉が入っていたが、ネット住民たちの考えとしては、「アイテムやガチャに課金するのは微妙だが、DLC販売ならOK」と、追加シナリオを購入する分にはよいとの意見が多かったようだ。



ちなみに、コアなゲームファンが集まる2ちゃんねるのゲーム業界・ハードウェア板でも、「やっぱこれからの時代はDLCだと思うが」とのスレッドで議論されており、そこでも、



「DLC自体にはいいも悪いもない。

DL販売もいいも悪いもない。ようは、内容だからな。内容が悪くて

値段が高けりゃ、文句を言われるそれだけだ」

「シナリオ配信とか新曲配信とかなら許せます

でもどうぶつの森で一部家具を有料DLC(編集部註:アイテムに対する課金)とかやってきたら許せない」



などと、同様の意見が寄せられている。



どうやら、追加要素としてのDLCの販売については“時代の流れ”として受け入れているといえそうなネット住民たち。しかしながら、ゲーム攻略に必須となりうるアイテムやガチャに対する課金については、やはり反発する意見が多いというのが現状のようだ。

(R25編集部)



※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびweb R25から一部抜粋したものです

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【レポート】天野喜孝が下書きなしで描く“ラスボス風”公式キャラ - ニコニコ超会議
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(写真:マイナビニュース)



イラストレーターの天野喜孝は、4月28~29日に開催された「ニコニコ超会議」にて、ライブペインティングを行った。



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当日イベントが行われたのは、ドワンゴが運営するイラストや漫画などの静止画を扱うサイト「ニコニコ静画」のブース。これまで「ファイナルファンタジー」シリーズなどの原画を手がけてきた天野独特のタッチで、イベント公式キャラクター「ニコニコ超会金」が“ラスボス風”に描かれた。



過去に、ニコニコ生放送のある番組内で「2ちゃんねる」発のアスキーアート「やる夫」を天野独自のタッチで描いて話題になったこともあるが、その時とは比べものにならないスケールの作品となった。



作業中に観客からの質問を受け付ける場面があり、「これまで描いてきたキャラクターの中で最も好きなのは誰ですか?」という質問に、「色々な方にその質問をいただくのですが、実はこれといったキャラクターはおりません。強いて言えば、「今描いている」キャラクターこそが一番好きだ、と言えるかもしれません」と答えていた。



絵が完成してすぐに、天野の呼びかけによって観客の書き込みが始まった。天野が「余白だけでなく、作品の上にも描き込んで」と呼びかけたことで、作品自体が大きな寄せ書きと化した。



天野の作品は、「ニコニコ静画」ブースでTシャツ制作を行っていた大英産業により、絵の完成からわずか数十分でTシャツが作られた。描き込みが行われる前の段階で撮った写真を元に製作した物で、イベント会期中はこのTシャツの販売も行われていた。



作品への寄せ書きは会期中通して行われ、イベント最終日の終盤には描き込みだらけになっていた。天野喜孝という作家と観客が、フラットな立場で交流した証が残ったと言えそうだ。



(杉浦志保)



[マイナビニュース]



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