【私たちは何を運と呼んでいるのか❓】

運とは、人間の意思や努力ではどうすることもできない巡り合わせを指す言葉です。運には幸運と不運の2種類があり、期待値以上の良いことが起きると幸運と呼び、望んでいない悪いことが起きると不運と呼んでいます。

 

【運とは、単なる事象の偏りに過ぎない】

例えば、サイコロを振って2の目が出る確率は6分の1です。即ちサイコロを6回振れば、2の目が1回出ると推測できます。

しかし、実際には2の目が2回以上出たり、1度も出ないこともあります。これは、事象の偏りであり、運の流れではありません。

 

 

私たちはこの「事象の偏り」を運だと錯覚していたのです。全ての事象は、原因と結果の法則によって生じるものであって、必ず何処かに原因があります。人間の知識や計算能力が不十分なために、運が存在するように見えるだけなのです。

 

●確率は収束する。

確率は収束するというのは、「大数の法則」と呼ばれる確率学の理論です。大数の法則とは、同じ確率で繰り返される試行を多く行うと、その結果の相対頻度は確率に近づくという法則です。

例えば、サイコロを振って2の目が出る確率は6分の1ですが、6回振っただけでは必ずしも6分の1になるとは限りません。しかし、サイコロを100回、1000回と振り続けると、2の目が出る確率はだんだんと6分の1に近付いていきます。

 

私たちは、全体の中のごく一部分だけを見て、運が良い悪いを決めつけていたのです。目の前の1点に囚われず、全体を見て考えれば、運は存在せず単なる事象の偏りに過ぎないことが理解できます。

 

 

 

 

【自分で制御できない部分をどうすれば良いのか❓】

人生に於いて、自分では制御できない部分はあります。例えば、天気や景気、他人の感情や行動、病気や事故などです。これらの事象に対して、不安や怒り、悲しみや恐怖などのネガティブ感情を抱くことは自然なことですが、ネガティブ感情に振り回されてしまうと、自分の心や身体に悪影響を及ぼすことがあります。

「自分で制御できない部分に対して、どうすれば良いのか」という問いに対して、私なりに考えてみました。

 

●努力できることはないか考え、実行する。

人間は、全て運だけに頼って生きることが出来ません。何故なら、不確定要素が多い賭けに運要素だけで一生を乗り切ろうとすると、不安や恐怖に苛まれて精神を病んでしまうからです。

それを回避するには、良い結果を引き寄せる確率を上げる必要があります。その確率を上げる確実な方法が、努力と行動です。

 

例えば、株式投資では運(事象の偏り)に左右される要素がありますが、社会情勢から価格変動の兆候を読み取る努力を積み重ねておけば、制御出来る部分も増える筈です。

 

●チャレンジ精神を持って、積極的に挑戦する。

サイコロを振って2の目が出る回数を増やすにはどうすれば良いのか❓

単純に、サイコロを振る回数を増やせば良いだけです。

 

同様に、現実世界で良い結果を出したければ、積極的に挑戦して大当たりを取りに行けば良い訳です。

運(事象の偏り)を味方に付けるには、とにかく積極的に挑戦し続けることが重要です。

 

●視点を高く持って、チャンスを見逃さない。

視点が低いと、感情に支配される。視点が低い人にとって、目の前の出来事が全て。故に、悲劇が降りかかればその悲劇にどっぷりと浸かり、考える余裕もなく感情に支配される。

感情に支配された人は、人生を好転させるチャンスが目の前にあっても気付かない。いや、気付く余裕も無い。

 

逆に、視点が高いと、問題解決の方法やコツをいくつも掴むことが出来る。彼らは、

目の前の1点の問題だけに囚われず、その問題の向こう側(全体像)をよく見ている。全体像と目の前を交互に見ることが出来るので、その全体像と目の前の1点に何らかの共通点があることに気付く。

その共通点から一気に目の前の1点と全体像の関係性を見抜き、全体像と部分が全て繋がり、人生を好転させるチャンスを確実に掴む。

 

【結論】

運とは、単なる事象の偏りに過ぎず、母数が増えるにつれて確率は収束に近付く。

運(事象の偏り)を味方に付けるには、以下の方法が重要である。

・努力できることはないか考え、実行する。

・チャレンジ精神を持って、積極的に挑戦する。

・視点を高く持って、チャンスを見逃さない。