続きです
ここで新井白石の登場です
3・新井白石の登場と「病根」の特定
徳川家宣・家継の二代にわたり
側用人の間部詮房とともに
「正徳の治」を主導した新井白石は
長崎奉行・大岡清相からの
報告やデータを精査しました
白石の論理は極めて明快でした
「金銀は日本の骨肉であり
一度失えば二度と生えてこない
対して海外から輸入する生糸や薬種は
いわば他人の毛髪のようなもの
骨肉を削って
毛髪を買うような愚は直ちにやめねばならぬ」です
4. 正徳新令の発布(1715年)
こうして新井白石は
長崎奉行の大岡清相らと密に連携して
清国・オランダの双方に
対する厳格な制限案を策定しました
1715年(正徳5年)
幕府はこれまでの場当たり的な
統制を撤廃して
船数・取引額・決済手段を一括し
て管理する「海舶互市新例(正徳新令)」を
発布するに至ったのです
貿易量を力ずくで削り取り
制度の穴を埋めること
で金銀の流出を阻止した
この政策はいわば幕府による
貿易の完全な「包囲網」でした

正徳新令(1715年)を
実効性のあるものにした最大の鍵
それこそが「信牌(しんぱい)」制度という
徹底した管理メカニズムと
清国(清朝)側を巻き込んだ
巧妙なネゴシエーションでした
新井白石が
どのようにして清国商人を手なずけて
裏抜けの抜け道を塞いだのか
その真相を解き明かしていきましょう
①「信牌」とはどのような仕掛けか?
信牌とは
現代でいう「公的な入港・貿易許可証
(パスポート兼ライセンス)」です
木版印刷で刷られた紙製の割符で
偽造防止のために
特別な割印や記号が施されていました

仕組みは極めてシンプルかつ厳格です
・限定発行です
貿易を認めた清国商人(30隻分)に対して
帰国の際に「次回入港用」の信牌を交付する
・入港時の照合します
翌年、長崎に来航した船
長崎奉行所に信牌を提出します
奉行所に残された原本と照合して
合致しなければ即座に退去命令を出す
・無所持船の完全排除です
信牌を持たない船は
どんな理由(時化や補給など)があろうと
一切取引を認めない、です

船が長崎港に到着してから
「取引させるかどうか」
を現地で判断していたため
無許可の船が港内にあふれて
密貿易や買いたたきの原因になっていました
新井白石は「出港する前に
来航できる者をあらかじめ幕府が選別する」
という逆転の発想で
貿易のイニシアチブを握ったのです
ーつづくー
from Itsuki
