何も起こらないように願って

誰とも関わりたくなくて

でもそんな日々を過ごすためにココまできたわけじゃない

人生の意味なんて知らない開き直りでもなんでもいい

眠れない夜も悲しみの海の暗闇も

その先へ

翔べ








好きなことだからこそ

やりたいことだからこそ

ふと感じる違和感に気づかないふりでスルーすることってあるよね。


でもそれが積み重なった結果

好きなことが

やりたいことが

できなくなってしまう。










わたしは割と自分の意見を言うことができる

上司にだって反論することもある

道理としておかしいと思ったり

こうした方が絶対良いと思ったりしたときに。



でもね

自分の気持ち、特に傷ついたこと苦しいことは

なかなか言えずにきた

トラウマになって、それ以降できなくなったこと

繰り返し繰り返し思い出しては涙する言葉

誰にも言えずに言わずに自分の中で蓋をした言葉や事柄は消化、浄化されずに

ふとした瞬間に湧き上がって蓋を開ける。








新しい言葉や関わりがなければ

新しい喜びや嬉しさも得られない

わたしの中で淀んでるものたちは浮き沈みを繰り返し流れてはいかない。


見下ろしたらたくさんの辛い経験も傷ついた言葉も

できなかった悔しさも自分の言動からの懺悔も

いっぱい淀んでる。

そして、ふとひとつが湧き上がるとそれらは芋蔓式に湧き上がる。




けど、ふと見上げたらたくさんの楽しい経験、嬉しい言葉、頑張った自分、感謝の出会いがわーって広がってる。繋がってる。







いま、目の前には

不安、迷い、恐怖、自分の病による負い目…

重い扉が幾重にもある。


でも、その扉を開けて

その先の景色をみたいんだ。

その先へ歩みたいんだ。









「そんなに無理してまた歩けなくなったらどうするの⁉︎また車椅子に乗らなあかんようなるよ‼︎」


そう言われたときわたしは言った

「この病気である以上、また歩けなくなることはあるかもしれない。

じゃあ、この病気は治るの?どうやったら治るの?

もう歩けなくなることはないよっていつ誰が断言してくれるの?」


歩けなくなったときすごく辛かった

車椅子生活は不便なこともたくさんあった

でも、歩けなくても

わたしは歩んできた。


車椅子に乗って初めて見えた景色があった

車椅子生活にならなければ関わることのなかった人たちとの出会いがあった

車椅子だからこそ触れることのできた人の優しさがたくさんあった



車椅子は確かに不便かもしれない

でも、車椅子生活=不自由ではない。




もちろん、そうならないようにいられたらそれが一番だけど

そんなに恐ろしいものでも悪いものでもない

歩けなくなったらそれで終わりではない。


歩けなくなることを恐れて歩みを止めてしまいたくない。






ただ、やりたい仕事を続けていくためには

歩けなくなることを恐れている


前職在職中にも何度か歩けなくなった

でも、1〜2日で治った


好きなことを続けたくて

やりたいことを続けたくて

何度も何度もまた歩き出してきた




完治はしなくともいろんな症状とうまく付き合えるように

いろんな症状を少しずつ克服できるようになってきている



振り返ると何ヶ月、何年と歩けなかったとき

わたしには本当になにもなかった

全てを失い(失った気になり)

諦めていたんだと思う


「もうこれでいいやー」と思ったらそこまでなんだ。





車椅子生活を経て段差を乗り越える力も

諦めない強さも身につけてきた。





例えが、歩行困難という症状のみになってしまったけど、

この解離性障害(転換性障害)を抱えてても

乳癌5年目でも

治らなくても、これからもうまく付き合いながら

少しずつ克服しながら

歩み続けたいんだ…





不安だよ

怖いよ

もう傷つきたくないよ





けど、



なるようになるさグッ

ケセラセラOK






少し前を向いたら

とても素敵な言葉をいただいた


「障害のことも含めてとりーぬちゃんは、とりーぬちゃんだから。全力で助け合うから。」





一歩の勇気で

こんなに素敵な出会いがあった

それだけでも丸儲け二重丸





ケセラセラOK









またね〜バイバイ